interlude(間奏曲)
春の三日連続セミナーツアーがスタート、新幹線に乗り込みました。
今回は、コラム風にこの連載をしながら思うことをつれづれに書いてみようと思います。
まず、「ピアノランド25周年」の重みについて。
『ピアノランド』を出版直後、楽器店の楽譜売場の棚を見て思ったものです。
この棚の大きさは変わらないのに、毎月毎月新刊が発行されていきます。
その中のごく僅かなものだけが、この棚のコーナーに残っていくけれど、大半はいつの間にか見かけなくなっていきます。
新刊の頃は目立つところに置いてもらえても、リピーターがいなければいつの間にか廃刊になって姿を消してしまう世界。
教材の世界では、使う人がいるかどうか、使いつづける人がいるかどうかという、本当にそれだけの結果なのだと知りました。
こうして25年生き残り、また、最近売り上げが伸びていると聞いて、『ピアノランド』は生きているんだな、と思いました。
作者の私がこうしてまだ(笑)この時代の空気を吸って生きているということは、『ピアノランド』はまだまだ変わっていく、もっと成長していく伸びしろを持っている!
楽譜の棚の中にあって、作曲者が生きているものはとても少ないことにお気づきですか?
優れた作品を残すかどうか決めるのも生きている私達なら、優れた作品を残さなければならないのもまた、私達の義務かもしれません。
そんなことを思いながら、明日から三日間で出逢う多くの方の音楽人生に思いを馳せ、車窓から見える桜の花を見つめています。
現在連載中の『ピアノランドたのしいテクニック』下巻について、みなさんからとても大きな関心を寄せていただいています。
レッスンで少しでも上達させたい! というみなさんの強い思いをヒシヒシと感じます。
どうすれば子供達の指が強くなり、素早く動き、難しい曲が弾けるようになるのか、他人よりも早く、そこに辿り着くにはどうしたらいいのかと焦っている先生方、親御さんを時々みかけます。
そこで改めて思うのですが、「テクニック」とは音楽的な自由を得るためのものであるということ。
自分の思いを音にするときに、何の不自由も無くそれが実現できたら素晴らしいですね。
そのために、私達は「テクニック」を用います。
テクニックは、それが目的ではなく、音楽を表現する手段として必要なアイテムであるということ。
それがなければ、表現に不自由するということです。
このテクニックという概念は、どの分野にも言えることで、何かを表現するときに技術的な壁があると思うようにはいきません。
料理でも、絵画でも、スポーツでも、どんな分野にもあることでしょう。
こんな味が欲しい、こんな色が欲しい、こんなプレイがしたい……そこに、それを実現させるためのテクニックが必要なのです。
ピアノのテクニックは、小さい頃から計画的に育てていくことが理想で、教える人は、常に、テクニックが主体ではなく、音楽が主体であり、そのためにどのテクニックをどのよう用いるのかを教えていくことが大切です。
つまり、テクニックを使うべき主体をしっかりと育てていくことが何よりも大切なこと。
音楽の美しさのために、テクニックは用いられるべきもの。
そのためには、美しさを知ることが、まず、何よりも大切なのではないでしょうか。
そんなことを考えながら、根性をつけるためのテクニックや、びっくりさせるためのテクニックではなく、音楽の美しさを表現するための自由を獲得するために、テクニックを磨き、育てていていきたいと思うのです。
「時代とともに進化を続けるピアノランドメソッドの全貌」と題して、25周年記念となるセミナーを開催します。
お近くの方は、4月25日(月)ヤマハ銀座店においでいただけましたら幸いです。
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