平成最後の日に

平成最後の日に

平成最後の日とということで、はたと思い出しました。

熊本の総合文化誌『KUMAMOTO』(季刊誌2019年3月発売No.26)は、「平成時代とは何であったか」を特集しています。その中に、私が父の代わりに執筆した「父・長谷川孝道の執念の執筆」が6ページに渡って掲載されています。

1月に帰省した折、父から「もう、ワープロも手書きも無理なので原稿依頼を断ってくれ」と託されたのですが、内容を見ると、以前「ピアノで広げる豊かな世界」というタイトルで日本におけるピアノ文化の発展について4回の連載した『KUMAMOTO』でした。私は、お断りするのも申し訳なく思いつつ、編集部に連絡してみました。「平成時代のスポーツについての原稿依頼を父にいただきましたが、父の代わりに『走れ二十五万キロ 金栗四三伝』執筆や大河ドラマについて、私が書かせていただくのはいかがでしょうか?」

 

そんなわけで、『KUMAMOTO』2019年3月号に、

2019年NHK大河ドラマ「いだてん」の基となった
『走れ二十五万キロ マラソンの父 金栗四三伝』復刻版
父・長谷川孝道の執念の執筆

というタイトルで、私が執筆させていただきました。(P.20~25)

送られて来た本を見て父はいたく気に入り、「これは10冊買っておいてくれ」ととても嬉しそうでした。自分で自分の宣伝をしない父でしたから、娘が一生懸命に記録を残し、広報している様子に目を細めてくれました。
「孫やひ孫たちにも、私が何をしたのかこれを読めばわかる」と言われ、ああ、親孝行できた!と、私もとても嬉しい気持ちになりました。

 

金栗四三さんについては、父が直接お会いして131回の新聞連載を経て伝記を書いたことから、氏を一番よく知る人として多くの取材がありましたが、父の視点にたって書かれたものはありません。念のため『走れ二十五万キロ 金栗四三伝』の編集でお世話になった永廣憲一さんにも原稿を確認していただき、編集部にお渡ししました。幸い、熊日で取材していただいたときの金栗さんと父とのツーショットや、「いだてん」第一回目を父と見ている写真等がタイムリーに新聞に出ていたので、熊日からお借りして掲載することができました。

 

このとき、ドラマと史実の違いをわかりやすく解説できたらいいなぁ、と書きながら思ったことが、『樹原涼子のいだてん日記』に繋がっていきます。何かを始めると、何かが生まれる。そうするとその反応があり……と、次へ繋がります。とにかく、行動することが大事だ、というのも、父から学んだことの一つで、それは私の習慣にもなっているのかもしれません。父が亡くなってから書いた4回目のいだてん日記には、金栗さんとスヤさんの馴れ初めについて書いています。これはこれで、とてもドラマチックなんですよね。

 

今、改めて『KUMAMOTO』を手に取ってみましたが、巻頭は「金栗四三のふるさと」鈴木之夫氏の写真と文があり、日本古代史を語る上で重要な江田船山古墳があることを知りました。古墳の出土品92点全てが国宝って凄いですね!これらの埴輪の保存や展示についての提案がなされていて、ああ、次に行ったときにはぜひ古墳公園にも行こうと思ったのでした。そう言えば、1月に和水町の金栗四三ミュージアムオープン記念の講演会に行ったとき、大きな埴輪が「すっすっはっはっ」のタスキをかけていたのは、そういうわけだったのか!と気づきました。あの日の金栗四三ミュージアム開館記念 樹原涼子トーク&コンサートも、今となっては忘れることのできない大切な思い出となりました。

 

巻頭文には宮崎眞由美氏の「米を研ぐ」、私の文化論「自分の井戸を持つこと、それを守ること」津留清美氏の文がとてもいい。その次に私の文があり、その後「平成時代」とはなんであったか、の特集……と、GW中に読んでみたい記事が沢山ありそうです。

熊本にお住いの方は熊本の書店で手に入ります。私は父の遺言通り、長崎書店で10冊購入しました。webからも注文できます。
(くまもと文化振興会 TEL/FAX:096 343 8808)

 

平成最後の日に、父を思いながら、父へのはなむけとなった原稿を紹介させていただきました。

 

 

 

樹原涼子
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