金栗四三ミュージアム開館記念 樹原涼子トーク&コンサートコーナー無事終了!
NHK大河ドラマ「いだてん」の主人公、金栗四三のふるさと、玉名郡和水町は熱く盛り上がっています。1月19日、金栗四三ミュージアム開館を記念して、メキシコオリンピック銀メダルの君原健二さんの講演、樹原涼子ピアノ&トークコンサートが行われ、和水町三河公民館には300人もの方が詰めかけました。
父、長谷川孝道が『走れ二十五万キロ “マラソンの父” 金栗四三伝』を執筆していなければ、今年の大河ドラマは「いだてん」ではなかったかもしれないことを思うと、今回、高齢の父の代わりに父の思いを伝えるという大役がずしりと重かった……。ですが、父の執筆と編集をずっと伴走してきた私が頑張るしかない!と、金栗さんと父との縁、本ができるまで、ドラマ化が決まってからのことなどをコンパクトにまとめ、演奏とトークで楽しんでいただくというプランを立てました。
会場の和水町まで車で向かうと、熊本市内とは別世界、美しい自然が広がります。ああ、こんなところで金栗さんは生まれ育ち走っていらしたのだなぁと。ミュージアムや金栗さんの生家も公開されてツアーが組まれ、このところ観光客が詰めかけているとのことですが、朝のうちはほとんどすれ違う車もなく、こんもりとした山々の間を走ると、ぽつりぽつりと金栗さんのノボリが見えてくる、のんびりとした景色の中で、いつの間にか緊張が解けていきます。
会場のステージでは、金栗さんが待っていてくれました! リハーサル前に金栗さんの写真にご挨拶していると、ちょうど『走れ二十五万キロ 金栗四三伝』の編集をしてくださった永廣憲一さんがいらしたのでパチリ。済々黌、早稲田、熊本日日新聞、FMK、熊本陸上競技協会と、父が歩んだ道をずっと一緒に辿られた父の後輩で、父が金栗さんのエキスパートとして後を託す、と信頼している方です。
いよいよ時間となり、ミュージアムの紹介、和水町の町長さんのご挨拶の後、私のコーナーがスタートしました。
このイベントは、父にとってもとても大切な日となったので、内容を要約して日記に記します。
~『走れ二十五万キロ 金栗四三伝』の著者である父「長谷川孝道」が伝えたかったこと~
父長谷川孝道は、昭和6年に熊本に生まれました。今日は、父が書いた金栗さんの伝記の編集に携わった私が、金栗さんと父とのご縁や出版の経緯などを、高齢の父に代わってお話しさせていただきます。いくつか写真もご紹介します。
こちらは、「いだてん 東京オリムピック噺』のタイトルロール。父の名前が資料提供のところに紹介されています。(書名も入れていただけたらもっとよかったですが……笑)
まず、『走れ二十五万キロ 金栗四三伝』の出版、復活、再復活劇を簡単に紹介します。
昭和35年の熊本国体を盛り上げるための記事をと熊本日日新聞の記者だった父が企画、金栗さん宅に通い取材、熊日新聞に金栗さんの歩みが連載されました。父は、さらにゆかりの方を訪ね全国を取材して回り、金栗さんの貴重な資料、エピソードをまとめ、翌36年に講談社から出版されました。(20代半ばで、本を出版したとは!)
講談社からの初版『走れ二十五万キロ “マラソンの父” 金栗四三伝』。
時を経て講談社版は絶版となり、毎年多くの新聞やテレビ局、陸上関係の雑誌等の取材が父のもとへ訪れます。熊日を経て、FMくまもとの社長、会長、陸上競技協会会長等を務めた父は、自分が亡き後、誰が金栗さんの功績や人となりを伝えていくのだと奮起、講談社版ではカットされた記事を復活、金栗さんのその後の活躍とそれらの解説を「余禄」として載せ、新たな本を出すことを決意したのです。80歳を超えての執筆活動は壮絶なものでありました。私も、過去の本の文字原稿をスタッフとともに全て作り直し、一旦、ムジカノーヴァ等でお世話になった工藤啓子さんに編集していただき、それを永廣さんに託しました。新たな原稿はファックスで父とやりとりしながら、父を励まし、なんとか出来上がったときには自分の本ができたときよりも嬉しかったです。
2015年8月20日(金栗さんの誕生日)に、熊日出版より熊本陸上競技協会の協力を得て熊日出版より出版に漕ぎ着けたのです。『走れ二十五万キロ “マラソンの父” 金栗四三伝』復刻版の表紙です。
すると、なんと翌月に、2020年の東京オリンピックが決まったのです!
2020年の東京オリンピック開催が決まったことが引き金となったのでしょうか、2019年の大河ドラマの前半の主人公が金栗四三と決まりました。金栗さんに直接取材した父の本を参考に金栗さんが描かれることになり、それを受けて、熊日出版から今度は自費出版ではなく一般書籍として表紙も一新、出版することになったのがこの復刻版『走れ二十五万キロ “マラソンの父”金栗四三伝』の2刷。2018年5月に出版されました。(熊本の書店、熊日出版のweb、Amazon等で手に入ります)
こうして、この本が誕生するまでの60年近くの経過をざっとお伝えしました。
そして、父と金栗さんとのご縁を辿ります。こちらはもっと遡ります。今から70数年も前のことです。最初の出会いは、父の済々黌時代。(今でいう中高時代)当時、金栗さんは陸上競技協会の会長さんで、練習や大会で父たちにやさしく声をかけてくださっていたそうです。
早稲田法学部時代、というより、早稲田競走部時代の父。
熊本日日新聞の記者になり、東京オリンピックを取材していた20代の父。この少し前に、金栗さんの連載のためのインタビューをしました。右端が父。
父が金栗さんに送った、講談社版初版。ええと、上でも講談社版の紹介をしましたが、こちらは金栗さんが持っていらした“実物”です。貴重!
ここで、会場の皆さんにピアノ演奏を聴いていただきました。
復刻版執筆当時、父は病気の母を抱えて二人暮らしで、大変な苦労をしながらも執念で書き上げました。私も毎月実家に通っていましたが、そのころ、母に対してとても優しいまなざしを向ける父の姿に打たれて曲を書きました。初めて父に捧げた曲、捧げた曲集です。金栗さんの温和な人柄と父のまなざしに相通じるものを感じ、「やさしいまなざし」を選曲しました。
2曲目は、九州の山の樹々の間を吹き抜ける風をイメージして書いた「森を吹き渡る風」。
ちょうど、ドラマの中でも勘九郎さんが演じる金栗さんが山道を走るシーンがありましたね。この曲は、左手が樹々を、右手が風邪を表現していますが、ここでは、左手を金栗さんの実直な生き方、右手を金栗さんに訪れた様々な試練に例えてから演奏しました。写真は、和水町地域おこし協力隊のツイッターアカウントからいただきました。
その他、父の東京転勤の折に、色紙をいただきたいと父が申し上げたところ、ずいぶん練習して書いてくださったという「体力気力努力」の色紙を紹介。会場では、勘九郎さんと父の写真をご紹介しました。ここでは、2015年の復刻版の表紙で、金栗さんの力強く美しい書をご覧ください。
「走れ二十五万キロ」と本のタイトルをつけた父に、金栗さんはなぜ25万キロなのか質問されたそうです。金栗さんがこれまでに走られた距離を計算し、今後走られるであろう距離を足して25万キロとしたと父は答えたとのこと。この二つの書は、父の宝物です。
こちらは、金栗さんのお嬢様3人と「いだてん」の玉名ロケで久しぶりに再会、父と話が弾んだ時の写真です。
第1回の「いだてん」を父と一緒に見ている写真です。熊日にも掲載され、その折にいただいたスナップもご紹介。(写真:蔵原博康)
あとで君原健二さんがマラソンについてはお話されることがわかっていましたので、私からは、金栗さんが考えられたインターバル練習、富士山での高地トレーニング、箱根駅伝、女子スポーツを推進されたことなど、「自分が走る」こと以外に、多くの人のために様々なことを考案され、広めていかれたことをお話しました。
後半の演奏曲は、金栗さんの思いを次世代に伝えていく、という意味で、ゲーム「俺の屍を越えてゆけ」の「花」を弾き語りで。そして、最後は「いだてん」のオープニングテーマを連弾で演奏しました。一緒に弾いてくれたのは、昨年の録音応募プロジェクトで福岡で公開レッスンを受け、東京のピアノランドフェスティバルで小原孝さんと連弾をした、小6の月俣麻美さん。生き生きとした演奏をありがとう!
大友良英さん作曲のメインテーマ、とても楽しい曲ですね。
会場の皆さんにも途中の手拍子のリズムや、最後の「いよ~! ぽん!」を練習していただき、とても楽しく終了。
和水町からいただいた花束を、そのまま父に贈呈させていただきました。和水町のツイッターにアップされていた写真を掲載させていただきます。右手前が父。花束の向こう側は、東京オリンピックに短距離で出場された井口任子(いのくちたかこ)さん(現在は松尾さん)で、私も子供の頃、短距離走の指導を受けておりました! 一人置いておとなりが、君原健二さん。
父にマイクを向けると「私は書くのが専門ですから、喋りませんが……」と会場の笑いを誘い、金栗さんのことを皆で伝えていきましょうと一言。永廣さん、井口さんにも素晴らしいコメントをいただき、私のコーナーが終了しました。
その後、君原健二さんの訥々とした中に笑いあり、そして含蓄のある講演。大変心に残りました。どなたかまとめられていたら嬉しいのですが。君原さんと、貴重な銀メダルの写真はこちら→和水町のツイートのリンクです。
終演後、父と記念撮影。「楽しかった。とてもよかった」と言ってもらえて、とても嬉しかったです。準備が大変だったので、本当に……。
左から勉強会講師の吉武さん、中川さん、ピアノランドメイトの東さん、角さんも来てくださって、本当に嬉しい。
ゆるキャラくんのお名前を聞きそびれましたが、とても大きい〜。そして、小学校の校長先生として多忙な妹が車椅子の父に1日付き添ってくれたことに感謝!
父が、自分の人生においてとても大切にしてきたことを、こうして本という形に残すことができて、本当に良かったと思います。「金栗四三さんは、日本初のオリンピック選手であり、名指導者。素晴らしいお人柄に惚れ込んで、神様のように慕い、尊敬してきた」と父は言います。その父の思いを、形にしたことで、陸上界、スポーツ界だけではなく、こうして一般の方にまで広く金栗四三さんを知っていただく機会ができたことを、この上なく嬉しく思います。
主催の和水町の町長高巣康廣さんはじめ多くの皆様、運営のFMK平山啓介さん、お力添えいただいた永廣憲一さん、ピアノ調律では直前まで汗を流された内川明さん、音響スタッフ、その他関係各所の皆様、大変お世話になりました。また、金栗さんの活躍を全国に伝えてくださる、NHK大河ドラマのスタッフ、出演者の皆様、音楽の大友良英さんにも心から御礼申し上げます。何年も前からの想像を絶する準備を思うと、頭が下がります。
今回私が学んだのは、作るときにどれだけ壮大で大変なことでも、そこで手を抜かなかったものは、何十年経っても色あせることなく、なお輝きを増していくということです。父のアイディア、仕事振り、積み重ね方、人や物事を大切にして次へ伝え残していこうという思いは、本当に素晴らしいと思います。
私が音楽の道で、苦しくても苦しいと思わず、やり甲斐を感じてここまで歩いてくることができたのは、結果を急がず、本当に自分が求めるものを追求していく姿勢を、金栗さん、父を通して学んでいたからかもしれません。何十年も先の人のために、今を積み重ねていくことを嬉しいと思えるかどうか。私は、自分の考え方や手法を研究し深めていくことがとても好きです。回り道も沢山あるのですが、だからこそ気づけることも多く、だからこそ確信を持てることもあります。机上の空論にならないためには、実践が何よりも大切で、テーマを持って考え続けていくからこそ、道端に咲く花に出逢うように結果が出るときもあります。
金栗四三さん、父を導いてくださって、本当にありがとうございました。そして、父長谷川孝道にも、感謝を捧げます。その父を支え、私に音楽を与えてくれた母にも感謝を捧げます。母の枕元に報告に行きます。
父が『走れ二十五万キロ 金栗四三伝』に書き留めた様々なエピソードが、ドラマの中で、命を持って輝くところを楽しみにしていたいと思います。今、熊本で父と「いだてん」3回目を見終わったところですが、かなり面白いですね! 毎週日曜日が楽しみです。
※本日(1月22日)主催者より写真をいただいたので、追加で掲載いたします。
前列中央左、君原健二さん。右、長谷川孝道。前列左端は妹の梶尾典子。
後列右から、月俣麻美さん、永廣憲一さん、井口(松尾)任子さん、麻美さんの祖母。