地震から半年……被災した方からご希望があれば『ピアノランド』をお送りします
熊本地震もまだつづいている中、鳥取でも大きな地震が起こり、毎日のように揺れているようで胸が痛みます。
数日の熊本滞在中、明け方に震度2くらいの地震があって目が覚め、もう寝つけなくて5時過ぎから原稿を書いていた日がありました。
ですが、あとから起きて来た父に話すと、「あ、そう?」。
勉強会受講生も「揺れましたか? それくらいではもう目が覚めなくなって!(笑)」。
そうですよね、4月から身体に感じる地震が4,000回以上になったと少し前に報道がありましたが、小さな地震にいちいち反応していられないくらいになりますね、きっと。
鳥取の方も、今はとても大変なのではとお察しします。
初めてのことで、どうしたらいいかわからない状況で「また揺れたらどうしよう」と、どんなに不安でしょう。
あの日、熊本の人も、熊本に大切な人がいる人も、みんな不安でたまらず心配ばかりしていました。
そして、東日本大震災のときも東京の自宅にいてさえ、泣き出してしまいそうなくらい揺れて怖かったことを思い出します。
でも、東日本大震災の直後に熊本でセミナーがあったときに、あまりにもみなさんが明るく、しかも震災が起こったために九州新幹線の開業のお祝いイベントが軒並みなくなって(運悪く開業は翌日だったのです!)、そのことが大打撃という雰囲気だったことが印象的でした。
九州の人にとっては、九州新幹線の開業はまたとない大イベントで、それに合わせて多くの企業やお店が色々なことを計画していたので、一地方都市にとって、そのお祝いが全てキャンセルになったのはとても大変なことだったのです。
でも、東京であの揺れを経験していた私は、九州と東北の遠さを身にしみて感じました。
熊本はそれまでほとんど地震がない土地でしたから、あの怖さを想像できなかったのかもしれません。
東京で、私達に何ができるだろうと心を痛め、あれこれ考えあぐねていたのと比べて、その温度差は心に堪えました。
そして、4月の熊本地震。
家族も友人知人もみな、「ほとんど揺れたことがない土地の人」から、「地震が来る少し前にわかるのよ。地鳴りのような音を感じるの。大きく揺れるかどうかもすぐわかる。どれくらいで止まるかも」という、まるで地震のプロのように変身しています。
冒頭、小さな揺れで目覚めて眠れなかったと書きましたが、熊本の友人達は、これは寝てていい、目を覚まして様子をみよう、起きようか、飛び起きるぞ! と、瞬時に本能的に身体が反応できるのではないかと思います。
人は、経験というものを通じてしか変われないし、経験なしには想像できない、わからないことも多いのだと、つくづく思いました。
人の立場になる、ということは、だから、本当に難しい。
今回、東北の方が熊本まで沢山支援に来てくださって、多くの人が「助かった!」と。
それは、どんな苦労をしてきたか、どうやって乗り越えて来たか、ついこの前経験したことを元にアドバイスしてくださるからなのですね。
被害にあった人の中でも一人一人状況が違うので、一概に被災者とひとくくりにはできないし、同じくらいの被害にあったとしても、そのことが与える精神的ダメージが同じとは限らない。
考え方の習慣や、健康かどうか、経済的なこと、年齢、家族との関係等、様々なことがその人のダメージの度合いに関係します。
怖かったり、悲しかったり、心細かったりするときは普通の精神状態ではないので、より傷つきやすかったり、切れやすかったり、それまで問題ではなかったことも問題になることがあります。
そんな様々なことを考えながら、「私達はこうでしたよ」「こんな失敗もありました」「こうしたらいいかもしれませんね」と、手を差し伸べてくれる被災経験のある方達に、熊本出身の私は感謝せずにはいられません。
熊本地震の折は、鳥取から「鳥取県災害ボランティア隊」を募集して、多くの方が手助けに来てくださったそうです。
今回はその御礼にと、熊本県(行政)から鳥取の支援に向かったとのニュースを見ましたが、助け合うということは本当に大事ですね。
実家の屋根はまだブルーシート(しかも、何回も張り替えた)で、やっと11月に屋根の修理ができることになりました。
被害の範囲が広いため職人さんが足りない、職人さんが過労で倒れる、台風や大雨が来ると仕事ができないという具合で、自然と人とのやりくりでしか物事が進まないので、本当にすぐに解決しないのだなということもわかりました。
飛行機から見る熊本は、まだまだブルーシートが沢山あります。
熊本に戻ったときには被災した方のお役に立ちたいとケアコンサートに伺いながらも、実家のケア、老親のケアが行き届かないことに自責の念も抱えつつ、これ以上仕事のやりくりもつかず、という状況で地震から半年経ちました。
半年で9回の帰省をしましたが、お見舞いコンサート(ピアノの先生のための)&ケアコンサート(城南スポーツセンター、月出小学校、益城町杉堂)、録音応募してくれた子供達の公開レッスン、地震があったからこそと開催されたつぼみコンクールの審査員、勉強会(曲集『夢の中の夢』)等をしてきました。
「実家から戻るとボロ雑巾のようになっている」と話してくれた友人がいますが、まさにその通りで、熊本から東京に戻るといつも家族が心配してくれています。
今年がピアノランドの25周年だったこともあり、地震のあった4月からは忙しさのピークで、楽譜の出版、録音審査、公開レッスン、セミナー、ピアノランドフェスティバルと怒濤のような日々。
思い出すと泣きたくなることもありましたが、でも、沢山の子供達や親御さんが喜んでくれて、そのことにもどれだけ元気をもらったことでしょう。
やはり、音楽でしか誰かのお役に立てないし、音楽でなら自分も元気になれる、という循環なので、これは運命なのだろうなと思います。
ひとつも投げ出さずに来れたのは、家族とスタッフが支えてくれたからだなと、そして、各地でコンサートを待っていてくれたり、主催してくれたりしたみなさんがいてくれたからだと、静かに熱く感謝の思いがこみ上げます。
それでも、まだまだ何か、できることがあるかもしれない、と思い、考えたことを書きます。
もし、協力してくださる方がいらっしゃいましたら、よろしくお願いします。
日本中、地震だけではなく、台風、土砂崩れ、水害、噴火等、様々な自然災害によって被災した方が沢山いらっしゃいます。
それはもちろん予期せぬことでだったでしょうし、たまたまそのときに住んでいる場所での巡り合わせは、運不運でしかありません。
熊本のことは、くまもと音楽復興支援100人委員会を通じてケアコンサートという形で、また、その活動をテレビや雑誌、web等で広報するという活動をしていますが、私個人ではどんなことができるかなと考えてみました。
無理せずできることは何だろう、と考えたとき、そうだ、私が書いた楽譜を喜んでくれる方がいたらお送りしようと思い立ちました。
私が教室のためにとストックしている『ピアノランド』1 2 3 4 5巻、『ピアノランドたのしいテクニック』上 中 下巻の中から、被災された方で必要な方がいらっしゃいましたらお送りいたします。
こちらまでご連絡ください。
手持ちがあるところまでで恐縮ですが、少しでもお役に立てれば幸いです。
お住まいの地域に限らず、遠慮なくお申し出ください。
これまでも、石巻の集会所の置き楽譜としてみなさんで利用していただいたり、津波で楽譜を失ったお子さん達にお送りしたりしてきました。
新しい洋服に袖を通すときに何だか嬉しい気持ちになりますが、音楽が好きな人にとって新しい楽譜を手にするのはそんなワクワク感があります。そんな気持ちをお届けできたら、と思います。
希望する楽譜名、住所、氏名、連絡先アドレスとTEL、お送りする住所をお知らせください。
もし、お近くにお心当たりの方がいらしたら、上記の情報をお伝えいただければ幸いです。
熊本での樹原涼子のケアコンサートをご希望の方は、くまもと音楽復興支援100人委員会、またはこちらまでご連絡ください。
もう1つ、私にできることは、12月23日のクリスマスコンサート(東京 恵比寿)。
昼は次男孝之介をゲストにピアノと歌をメインに「故郷 熊本を思う」と題して、チャージの一部を寄付させていただくチャリティコンサート。
夜はバックのごきげんバンドと熱く、厚いハーモにーをお聴きいただくという別プログラムです。
昼夜ともみなさんからのお気持ちをお預かりして、被災した方の元に「ケアコンサート」という形でお届けする予定です。
この活動を応援していただけましたら幸いです!