わたしの手 3 じっと、手の甲を見る

わたしの手 3 じっと、手の甲を見る

樹原涼子

 

手は、毎日毎日仕事でも日常生活でも使うものなので、人一倍気を遣っている。

手には、その人のいろいろな情報が詰まっているのだなと思う。

 

「手」と言えば、思い出す映画がある。

母が大好きだった映画「風と共に去りぬ」。

ビビアン・リーが演じるスカーレット・オハラと、クラーク・ゲーブル演じるレッド・パトラーは、両親が若い頃の大スターで、母は何度もこの映画を見ていた。

ストーリー的にはもっと重要なシーンが沢山あるのだけれど、私には忘れられないシーンがある。

暫く離れて暮らしていた二人が久しぶりに会うシーン。

貧しい暮らしになったことを悟られないでレッド・パトラーの気を魅こうと、スカーレットはカーテンで急ごしらえのドレスを作り、彼を待つ。

彼が来る直前、スカーレットは自分で頬をつねって紅潮させ、唇を強く噛む。

化粧品無しで、ほほ紅や口紅の効果を出す方法があるなんて、私は驚いた!

鏡の前でバタバタしている彼女は、なんだか可愛かったし、本当にそんな風になるのかと思い、私も鏡の前で自分の頬をつねって、唇を噛んでみた。

ちゃんと、ほんのりと紅くなるのだ。痛かったけれど。

 

だが、私がもっともっと気になったのは、その次のシーンだ。

レッド・パトラーは久しぶりに会えたことを喜び、彼女の手にうやうやしくキスをするのだけれど、なんと、そのときに彼女のたくらみに気づいてしまう。

スカーレットの手は、すでに貴婦人の手ではなく、労働をする手に変わっていたのだ。

 

彼は、お金目当てで自分が呼ばれたことを悟り、その振舞に怒って去ってしまう.。

スカーレットが「手袋をすればよかった!」と嘆くシーンはとても印象的だった。

 

小手先で彼の歓心を買おうとせずに、正直に「今の暮らしから救って欲しい」と打ち明ければよかったのに……だって、彼はあなたを愛していたのに!と思いながら見ていたことが忘れられないのだけれど、今日の本題はそこではない。

おそらく、生きるために、手や肌がガサガサになるまで畑仕事や家事をしていたスカーレット。

あんなに贅沢な暮らしから一転、それはとても辛い毎日だったに違いない。

そうか〜。手に、出ちゃうんだ。生活が。生き方が。人生が!

 

 

まだ、半分くらい子供だった私は「風と共に去りぬ」を見て思ったのだった。

もちろん、ラストは胸が締め付けられるようだったし、彼女が階段から転がり落ちるシーンにはハラハラしたし、けれど「キニーネ」という薬の名前が妙に耳に残ったり、ドレスの下のコルセットをあんなにキツく締め上げるのか!とか、そんなところばかりが思い出される。

 

でもやはり、一番心に残ったのは、「どんなに大変なときも、手は、ガサガサになりたくないな〜」ということ。

貴婦人のように家事労働をしないで生きていくというのは無理だとしても、清潔にして、クリームで手入れをして、日に焼けないように気をつけて、手袋を愛用すれば、ずっとしっとりとした綺麗な手でいられるだろうか。

 

と思ったのは一瞬で、そんなことは忘れてしばらくは生きていた。

バスケットは諦めたし(わたしの手 1)、まだまだ手が荒れる程家事はしていないし、真冬でもなければハンドクリームも必要なかった。

若い、ということは素晴らしい。

 

 

やがて音大生となり、卒業、仕事、結婚、出産と、常に音楽をしながら大人になっていくのだけど、皮脂の分泌具合も変わり、家事もするようになると、だんだん手が荒れるようになってきた。

クリームを欠かさず、荒れて来たら手袋をして寝る、家事は必ず手袋や軍手、ゴム手袋。

冬の外出はもちろん手袋、夏の外出は日焼け止めか、やはりUV対策の手袋。

そうするようになったのには、映画のせいばかりではない。

きっと、あるおじさんとの出逢いが影響していると思う。

 

音大生の頃、ある実業家の方とお話する機会があった。

私が音楽の道を志していると言うと、「寝ても覚めても音楽のことを考えていますか? 憧れとかではなく」と訊かれた。

私は、音楽をするために生まれて来たし、成し遂げるべき何かをみつけようとしていて、それは音楽の中にある。

毎日毎日、どうしたらもっとよくなるか工夫をしているし、考えているし、それが好きだし、考えないではいられない。

というようなことを答えたと思う。

 

そうしたら、その方は自分の手の甲を見せて、こう言われた。

「私のような歳になるとね、こうして、いつの間にか手の甲にシミができてしまうんだ。

このシミができる前に、人間はどれだけ頑張れるか、なんだよ。

君の手の甲は、まだシミもなく綺麗だね。

毎日、この手にシミができる前に何かをしなくちゃいけないことを、思い出してご覧」

 

 

そうか。必ず歳をとるのが人間だ。

私の手の甲にシミができないうちに、私は何かを成さなくてはいけないんだ!

何だかぼーっとしていられないような気持ちになった。

そのおじさんは、若いうちにしかできないことがあると、教えてくれたのだろう。

何かに対する集中力や根気、そして体力、それに、向こう見ずな勇気、ばかみたいに何かを信じる力。

きっと、大人になってしまうと忘れてしまうことがいろいろあるのだろう。

そうこうしているうちに、手にシミができる。

大変だ!

 

若い日の時間は無限に感じられるけれど、あっという間に過ぎ去ってしまうのだとおじさんを見て思った。

手にシミのない頃のおじさんは、希望に燃えてがむしゃらにがんばったのだろう。

だから、丸の内にオフィスを構え、人が羨むような偉い人になったのだろう。

それでも、若い頃を思うといろいろな未練があるのだろうか。

 

それ以来、じっと手を見る。

手の甲にシミができていないか、まだ、私は挑戦する人でいられるかと、じっと手を見る。

啄木と違って、手の平ではなく、手の甲を見る。

 

少しでもクリエイティブな仕事を第一線でつづけたいと思うから、大人になってからも手は大切にしている。

手は、人生を映す鏡だ。

 

 

 

 

 

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