わたしの手 1 バスケットボール
樹原涼子
ピアノを弾く手を大切にしている。
それは、小さいときからごく自然にそうしてきた。
高校生の頃、親とピアノの先生に隠れてバスケット部に入部してみたけれど、そのときは二つの理由ですぐにやめることになった。
一つ目は、地獄坂と言われる急な勾配の坂道で何本もダッシュの練習をしたのだけれど、なんとその坂の上に私の家があった。
何度もあの坂を登った後、一旦学校まで戻り、着替えてから、またこの坂を登って家に帰るというのは、なかなか精神的にもハードだった。
そのまま家に帰れたらいいのにと思わない日はなかった。
というほど何日も在籍したかも定かではないが。
もう一つの理由は、体育の授業ではとても楽しかったバスケだったのに、入部してみると中学生の頃からバスケットボールをしている人達の動きは別次元で(当たり前!しかも強豪校と知らずに入部していた)、そのスピードに圧倒され、中学時代に陸上部で鍛えた足は動くのだけれど、手は全く動かすことができなかった。
お手上げ、とはこういうことを言うのだ。
「バスケ、楽しそう! 気をつけてプレイすれば大丈夫!」と、ピアノの気晴らしになどと思ったのは大きな間違いで、うっかりパスをもらおうものなら突き指しないで受け取る自信もなく、パスが来ない位置に走る……では本末転倒!
ボールを持った私の手をめがけて誰かが突進してくる! 手をぶつけてしまったらピアノが弾けなくなる、急いでボールをどこかへ投げなくちゃ(笑)と、信じられない発想と行動に走る私。
ここは、世界平和のためにと、さっさとしっぽを撒いて退散したのだった。
小さい頃からいつも球技は楽しかったのに、バレーボールやバスケットボールをするのはピアノを演奏する人にとってまるで禁止事項のようだったから、そのことに自分で反発して入部してみたのだと思う。
そして、私には何が大切なのかがハッキリわかった。
球技より、音楽がいい。
手や指に怪我をするのは嫌だ。
人は、自分にとってあまり大切ではないことの方が、本当に大切なものよりも魅力的に感じることがあるのだと、高校一年生の私は思い知った。
私はバスケがしたかったのではなく、「危ないからやめなさい」と言われたことをしたくなっただけなのだと。
この経験は、後に私をいろんな誘惑から守ってくれたかもしれない。
これは、自分が本当にやりたいことなのか、何かに反発してやってみたいというだけなのか、ちょっとした好奇心なのか。
そんなことのために自分が大事にしていることが危険にさらされていいのか、よく考えるようになった。
あの地獄坂を思い出す度、縁のなかったバスケットを思い出す。
だから、小原孝さんと話していて、彼が国立音楽大学でバスケット部に所属していたと聞いたときは本当に驚いた。
え? 音大にそんなものがある! 嘘!
それで、どうしてあなたはピアニストなの?(笑)