わたしの手 2 音に当てて弾く?
樹原涼子
そうやって大切にしてきた「手」が、演奏以外にも役に立つ仕事をいくつかしたことがある。
作編曲をしてピアノを弾く若い女性ということで、困ったときに呼ばれることがあった。
音大を出て2、3年めだったと思う。
作曲の勉強のためにいろんな作品を弾いたり歌ったり、コーラスをしたり、録音の仕事をしていた。
「手タレ」専門の人には頼めないし、大御所のピアニストにも頼めない、ちょうど頼みやすいところをウロウロしていたのだろう。
女優さんがピアノを弾くシーンで変わりに演奏したり(同じ洋服を着せられて)、弾いているように見えるような身体の動きを指導したりという仕事も何回か頼まれた。
たとえ指先は映っていなくても、身体の動きだけを見て、実際に弾いているかいないかは容易に判断がつく。
料理でも、文字を書いている仕草ひとつとっても、演奏はなおさらのこと、実際に俳優さんがやっているように見せるのは、なかなか大変なこと。
のだめちゃんは、その点、百点満点。
ピアノを弾ける人が見ても、弾いているかのように見えていたのだから。
自分が演奏する手を撮影されるというのは、なかなかシビアで面白い。
お正月用の特注の長い企業CMで「この音楽のピアノの部分を演奏していただいて、その映像を撮ります」と言われて、「わかりました。楽譜は?」「ありません」「はぁ?」という無茶苦茶な仕事もあった。
どこかの音楽スタジオで録音は済ませたものの、弾いている映像を使おう!ということになったらしい。
誰が作ったのかもわからないその曲の楽譜もなく、スタジオには楽器が用意され、私が弾くのが待たれているのがわかった。
う〜ん。
「今、即興で弾くからそれを撮って使えば?」という提案は、そのとき思いつかなかったのが悔やまれる。
その場でヘッドフォンから流れてくる音を書き取って、まるで今、私の手が演奏して録音されたかのようにピッタリに演奏して(正確には指を動かして鍵盤を操作して)、あとから音と映像を合体させるという荒技。
「もし間違いがあると、細部まで見ている視聴者からクレームがきますから、間違えないように弾いていただければ」とADらしき人が申し訳なさそうに頼みにくる。
まったく、耳コピできない人だったらどうするつもりだったの?
まぁ、スタジオミュージシャンで耳コピできないような人はいないかもしれないけれど……とブツブツ言っている暇もなく、ヘッドフォンで耳コピしているところをスポンサーはじめ広告代理店の人達が大勢で見守っている。
ガラスの向こうに並んだ、背広のおじさん達。
私ができなかったら、誰がどんな始末をつけるんだろう。
もちろん耳コピは無事完了(頑張った!)。
楽譜に起こしたのであとは弾くだけ、とホッとしたのも束の間。
音に合わせて集中して演奏するのは至難の技で、本当に弾いているように弾こうと努力している私に、途中で「あの〜、関節が目立たないように弾いてもらえますか〜」と言われたのにはちょっとピキッときた。
絵的に綺麗に撮りたいのはわかるけれど、音楽と合わせたいんでしょ?
ピアノが弾ける人は、指のつけ根の関節がしっかりしているもので、「関節が目立たないように」と言われてもそういう骨格にわざわざ育ててきたのだ。
バレリーナにはバレリーナにふさわしい“踊るのに適した身体”が、ピアニストには“ピアノを弾くのにふさわしい手”というものがある。
MP関節がゴツゴツしてない人がいいんだったら手タレさんに頼めばいいのだ。
(指輪やハンドクリームのCMじゃないんだから、もう!)と心の声。
そうそう、昔何度も見た「フラッシュダンス」という映画で、主役の女の子の体型と吹き替えで踊っているダンサーの体型が全く違っていて、「しょうがないわね〜」とダンス仲間と話したことを思い出した。
少しムッとした気分はお首にも出さず、
「それでは弾けません。この関節で支えてるんです」
とにっこり。
これでもう誰も文句は言えないので、集中集中。
とにかく、流れているピアノの音と寸分違わぬ演奏映像が出来上がり、みなで胸を撫でおろし、それはちょっと嬉しい経験だった。
困難なことを頼まれて出来たとき、嬉しい気持ちになる。
がっかりさせるよりは喜んでもらえた方がいいに決まってる。
負荷が大きい程達成感があるから頑張れるんだなと思ったし、できて嬉しかった。
スタジオの大画面で確認すると、自分で見ても、私が弾いた音が流れているのではと自然に思えるくらいにピッタリだった。
そのCMはとても評判がよかったと聞いた。
クレームもこなかった(はず)。