樹原涼子の いだてん日記 3

いだてん日記 3

いつも本業の締め切りに追われて「いだてん日記」を書くのは5、6日後になってしまうので、今回はすぐに書き始めてみて思いました。放映後すぐ書いた方が気が楽。趣味で書いているので後回しにしていましたが、すぐ書けばすぐできる(笑)。週末は自分のコンサートや打ち合わせで録画を見ることも多いのだけど、なるべく早く書くことにします! 過去の日記はこちら→「いだてん日記1」「いだてん日記2」

 

13話「復活」について

宮藤官九郎さんの冴え渡る脚本

12話「太陽がいっぱい」13話「復活」は、本当に見所だらけでした。思い返してみれば、ストックホルムオリンピック当日と翌日のことを中心にこの2話が進んでいるのですが、これまでよりペースダウンしてゆっくりに感じられるかと言えば全くそんなことはなくて、ぐいぐいとドラマが進んでいく推進力たるや、本当に素晴らしい。

何と言っても、なぜ志ん生が狂言回しをしているのかという(年配の方には話が行ったり来たりでわかりにくいとの感想が多かったそうですが)その理由が、やっと視聴者にも納得してもらえるところまで運ばれてきました。この、若き日の志ん生が成長していく姿を四三と重ねるなんて、なんという技でしょうか。

プレッシャーに押しつぶされて酒を飲んだまま高座に上がる孝蔵の噺家デビューはどうなることかと思わせながら、なんと、酩酊状態の中にあっても物凄い才能を感じさせる! そんなことはお見通しの師匠の表情がいい。

そして、清さんがはなむけに名前入りの着物を贈るなんてね~、高いでしょうに……と思わせたら質に入れて……そしてちゃんと回収してくるあたり、ハラハラさせたりほのぼのさせたり……。これを、ストックホルムオリンピックとセットで入れ込むって、まぁ、なんという脚本でしょう。

 

森山未來さん、いい役者さんですね。回を追うごとに存在感が出てきて、いつの間にか噺家としての成長を楽しみにしている人が大勢で。たけしさんも、いい味ですね~。

これで、四三と孝蔵の未来の両方に期待を持たせながら、進んでいくんですね。いだてん。

大基となっている史実を知っていると、脚本演出のおかげで何倍も魅力が増していることがわかります。と同時に、これは脚色?と思われそうなことが意外にも史実だったりと、面白さが何倍にもなります。

今日は、ドラマを見て、改めて史実『走れ二十五万キロ 金栗四三伝』をチェックしたところについて書きます。

 

●四三が、道を間違えた記述があるか?

これは、史実にはありません。四三は、道を間違えたわけではなかった。

けれど、ドラマでは練習の時から道を間違える伏線を敷いて、本番では四三とラザロが二股ですれ違ったり、生死をわけたかもしれない分岐点……と思わせるところはさすがですね。

私は、幼い頃の四三が出てきて日射病で倒れそうな自分を何回も励ますシーンが素晴らしいと思いました。こんな風に、過去の自分が今の自分自身を励ましてくれる、ということは実際に経験した人はいるのではないでしょうか。

金栗四三さんから直接父が聞き書きした内容の中には、このような記述があります。スタートでの外国人選手のスピードに圧倒されたときのことです。(p.122)

 

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けんめいに走った。だが、トラックを二周し、マラソン門から郊外のコースへ出ていくころには二、三人がとり残されてしんがりグループになってしまった。意外な外国人選手の作戦というか、その走法に四三は気が動転。今までの記録に対する自信はガタガタに押し崩された。

なぜか、フッと故郷の母や兄の姿が浮かんだ。韋駄天通学をやっていたころの自分がチラッと頭をかすめた。

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金栗さんが父のインタビューに答えられたのは68、69歳のころですが、このように、初めてのオリンピックに出たときだけではなく、その後のオリンピック出場のときも、いつ、どこで、どのような状態だったか、何を思ったかを詳細に話してくださっています。克明な日記(ご本人が盲目日記と名付けられて、大学ノートに書かれていました)がなければ、父も細部にわたって正確に記録することはできなかったと思いますし、こうして大河ドラマになることもなかったかもしれません。

熊本日日新聞夕刊に131回に渡って連載され、後に『走れ二十五万キロ 金栗四三伝』になった。

今では、twitterやnoteなどを日記代わりにしている人も多いかもしれませんが、手書きの日記帳はよほど意志が強くなければ続かない……と、若い頃に何度も挫折した私は金栗さんの意志の強さを改めて感じます。が、どんな競技であれ成功しようと思えば、この緻密さは絶対に必要なものなのでしょう。常に、過去の出来事、過去の自分から学ぶ金栗さんの姿勢は、競技を引退されてからも一貫しています。

 

●で、ダニエルくんはいたの?

ダニエルくん、本当にやさしく素敵な青年ですね!

いて欲しい、いて欲しかったけれど、伝記には登場しないので、想像上の人物かと思われます。金栗さんがストックホルムの自然に心慰められたり、花を愛でる記述はあります。

(女城主直虎のときの「かしら」だって想像の役だったのですものね! 史実かどうかよりも、私は「かしら」のファンでありました!)

 

●四三は、大森監督をレース前に背負ったのか?

レースのスタート直前に四三におんぶされるなんて、四三さん、あまりにも可哀想!
でも、背負った箇所はどこかにあった……とも思い、改めてその辺りを読み返してみました。

実際に四三が大森監督を背負ったのは、ストックホルムへ向かう旅の途中、モスクワのクレムリン宮殿に立ち寄ったときです。汽車の中の様子や立ち寄った町のことまで、いろいろなエピソードが書かれています。(p.101)

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大森監督も「一世一代の見物だから」と疲れた体に鞭打ってでかけたが、上り下りの多いクレムリン宮殿の歩行に顔面は蒼白、四三が背負って回るしまつだった。

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●四三は給水を取ったのか? 倒れた時の状況は?

これは、当時の日本では、走っている途中に水を飲むという習慣がなかったと父から聞いています。うさぎ跳びなども、父が若い頃には普通に行われており、スポーツ医学という言葉も概念もない頃のことです。(1891年生まれの金栗さんはストックホルムオリンピック1912年当時21歳。父は1931年生まれ)

スタートでは外国人選手のスピードに圧倒されて我を忘れた金栗さんも、先行する選手が落伍していくと自分の順位が上がり、焦りも消えて晴れやかに走り、調子よく走る場面、倒れる場面が書かれています。ほぼ、ドラマでもこの通り進行しています。「無念の涙」という見出しで、『走れ二十五万キロ 金栗四三伝』にはこう書かれています。(p.123)

 

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ペースもリズムに乗った。しかし、四三にとってまったく予期していなかった事態が次第に悪魔の手をのばし始めていた。暑さであった。ようしゃなくてりつける真夏の太陽。舗装路から跳ね返ってくる熱気…かつて経験したことのないすごさだった。ノドはカラカラにかわき、吐く息はたちまち炎に変わるかと思われた。

“オレが苦しければ、外国の選手たちだって苦しいんだ”

四三のがんばりは、猛暑をはね返した。十五、六キロ地点にかかるころ、日の丸の声援があった。先回りして待っていた公使館の林中佐と欧州留学中の東大友枝教授だった。

「ガンバレッ」

「金栗ッ」

その声に新しい力がわいた。四三は猛然とピッチを上げた。折り返し点近くなると、給水所に駆けこんで、水を飲んだり、かぶったりする選手が多くなった。四三も二度水を頭からぶっかけた。やがて、折り返してくる選手に会う。前を走っているのは三十人くらいだ。やっと自分の順位を掴んだ四三は、復路に入ってさらにスピードを上げた。どの選手も疲れている。面白いように抜くことができた。17位くらいまで上がったろうか…。

~中略(苦しみの描写がつづく)~

ついに四三は道端の樹蔭にへたへたと座り込んでしまった。「心臓に痛みを感じて、ゴールまでは行けぬと自覚し…」と四三は日誌に書いている。

夢は消えた。もう、口惜しさも、焦りもなかった。耳だけがガンガンと鳴っている。スタートしてから、二六、七キロの地点であった。

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つまり、給水は取らず、頭から水をかけただけで走り続けた四三。ここで、水を飲んでいれば(そういう教育がなされていたら)、そして、足袋の底にゴムがあれば、もう少し涼しい日だったら……絶対に、四三は世界新記録で優勝していたのではと思います!!!

 

●ラザロ選手との友情は?

ラザロ選手が亡くなったことは、四三は新聞で知りました。ですが、個人的な交流があったかどうかは、『走れ二十五万キロ 金栗四三伝』の中に記述はありません。ショックや悲しみというよりは、このように淡々と綴られています。(p.127)

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六十八人の出場選手のうちゴールまでたどりついたのはちょうど半分の三十四人。しかもポルトガルのラザロは日射病で倒れ、そのまま病院で息を引きとったという。死者まで出した炎天下のマラソンである。新聞を読む四三の体に前日の焼け付くような猛暑がよみがえってきた。

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本当に過酷なレースだったことが伺えます。
控え室でのラザロ選手との交流といい、おそらく脚本の中で誕生した多くの物語が、ドラマとしての感動につながって生きます。

こうして、大きな柱としては史実があり、史実にまつわるエピソードが別の場所で有効に使われ、また、フィクションでの登場人物やエピソードも交えながら、落語とオリンピックという奇想天外な組み合わせで、すごいクオリティのドラマが進行しているのだなぁと思います。クドカンさんの頭の中を覗いてみたいですね。

それにしても、マラソンシーン、あれだけの撮影ができたのは、さすがNHKですね。

 

●ご機嫌な音楽!

今回も特筆すべきは、大友良英さんの音楽。
ドラマの中で、四三の心に寄り添う大友さんの音楽は、どのシーンも、音楽家として心から拍手を贈ります。

大友さんは『走れ二十五万キロ 金栗四三伝』をよく読み込んでいてくださっていて、お会いしたときに「あの本のおかげで、本当に助けられました。あれがなければ、本当に……」と、何度もお礼を言ってくださって、とても嬉しかったです。

音楽だけを改めてじっくり聴いてみたいと思って、そうそう、思い出しました。
そうなんです、いだてんのサントラCD、発売になっているのでした! 買わなくちゃ。
ちょうど役者さんの事件があって、ドタバタしている中でひっそりと発売になったのでした。CDはもちろんのこと、今は、好きな曲だけでもダウンロードできるのはいいですね!

 

来週も、いだてん、目が離せませんね! 来週はスヤさんについても、書くことができそうな予感。日本に帰ってからの四三のますます頑張りを、ご一緒に応援しましょう!

 

 

写真は、2018年5月17日付 熊本日日新聞より 掲載許可を取っています。

玉名市で行われたロケにて。
勘九郎さんは父との再会を喜び、父の膝に学生帽を置いてニッコリ。

 

 

 

樹原涼子
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