こんにちは
絵門ゆう子さんが亡くなってから、10日あまりが過ぎました。友人の私にまで放送局や雑誌の取材がくるので、ご主人の三門さんはあれからどんなに大変な日々を送っていらっしゃることでしょう。
告別式の前日「最後のステージで樹原さんと歌った“その手を胸に”を告別式で使わせていただいていいですか」とご連絡をいただいて、もちろんどうぞ、とお答えしましたが、ゆう子さんにお別れを告げ三門さんにご挨拶するちょうどそのときにこの曲が流れていました。「ゆう子は樹原さんにお会いできて本当によかったと思います」と言っていただいて、とても嬉しく「それは、私もです」とお答えしたのか心の中で思ったか…。
遺族の涙もかわかないうちに取材しなくてはならない側の苦労もわかりますが、同じ質問を繰り返しいろんな人から聞かれるのは、さぞおつらいだろうと思います。私も、どんな思い出がありますかどんな方でしたかと矢継ぎ早に聞かれて一言で答えるのは容易ではありませんでした。自分も原稿を書く仕事をしているだけに、いい加減なことは答えられないと思い、先週末はここ数年の手帳を見返してゆう子さんとのおつきあいをふりかえってみました。
書き抜いてみると、仕事を一緒にしたというより思いつく言葉としては“同志”とか“親友”とか、魂の結びつきを強く感じた2年数ヶ月でした。
お互いの忙しさを考えると、よく連絡を取り合っていたな、たくさん話をしたなと改めて思います。彼女は早起きで、相談があるときは朝8時半ごろ電話をくれることが多かったな(その時間は他の電話に邪魔をされない)とか、「ありがとう」と「ごめんね」がとても上手だったなとか、歌詞を何度も何度も推敲しては「どう思う?」と繰り返し練っていたなとか…。
ゆう子さんが作詞をしたり歌ったりと、新しい分野に挑戦するきっかけになれたことはとても嬉しく、音楽やおしゃべりに費やしたたくさんの時間は彼女も病気を忘れて楽しく過ごしてくれたかな、と思います。
ある程度(というか、彼女はすごく!ですが)有名になると、なかなか利害関係のない親しい友達ができにくくなるものですが、なぜかお互いウマが合ったのでしょう。また、私はテレビをほとんど見ないので、知り合う前のゆう子さんについては何も知らず、先入観なくつき合えたのもよかったのかもしれません。
12日水曜日は名古屋でセミナーをしました。高度な連続セミナーの内容によくついて来てくれる…先生たちの向上心は痛いくらいで、もっともっと上手にしてあげたいと心から思います。セミナーの最後に「友人を亡くして悲しい一週間だったけれど、みなさんがこんなに頑張って勉強してくれて嬉しいです。やりがいのある仕事があって私も救われた思いです。みなさんも家族や生徒たちのためにも健康診断をして、長生きして、音楽のすばらしさを伝えていってくださいね」とあいさつをして終わりました。
たとえ病気でなくとも、いつか死ぬ日が必ず来ることを意識して、今できることを一生懸命やること…死ぬことを知っているから、“今”の大切さがわかるのかな…。
「今日も心のアンテナをしっかりたてて、雑に生きないようにしよう」と思いました。
本の原稿が中断してしまったけれど、ねじを巻き直してスタートです。ピアノの先生や子どもにピアノを習わせている親ごさんへ向けてのメッセージとなる本。私の今までの経験を凝縮して、ピアノが“習わされるもの”ではなく“ピアノのおかげで幸せ!”と言えるものになるよう、先生と親の両方の気持ちを橋渡ししたいと思うのです。
ゆう子さんの本や絵本や詞がたくさんの人を勇気づけたように、私も、いい本が書けるよう努力するから見ててね!
それではみなさん、お元気で。