4月3日に絵門ゆう子さんが亡くなりました。
5日夜にホームページの原稿を書いたときには、まだ亡くなったことを知らず、6日の朝刊で死亡記事を見て初めて知ったのでした。
その日の夜10時頃、テレビ朝日の取材が来て、絵門さんの思い出は、どんな人だったかと質問を受けたのですが、まだ亡くなったことが信じられず、何と答えてよいのか…。ただ、絵門さんがどんなに最後まで今を大切に生きようとしていたか、ひとつひとつの仕事に全力投球していたかは、伝えなくては…。
7日朝10時30分から聖路加病院のチャペルで告別式。ほとんど眠れないままボーッとして出かけたせいか、財布を忘れて出かけてしまう。三門さん(ご主人)のお別れの言葉を聞いたとき初めて、ああ、亡くなったんだと思う。白い菊に埋もれた絵門さんは、ほんの少しほっそりして、もう笑ってはいなかったけれど、凛として美しかった。彼女の最後の作品となった「その手を胸に」と一作目の「光る星があったから」が流れる中、献花することになるなんて思わなかった…。でも、最後に気に入った曲ができて、クリスマスにも2月にも一緒にステージができてよかったね。ありがとう。絵門さん。
右肩に花を置いて「いってらっしゃい」と言ったら、「涼子さん忙しいのに来てくれてありがとう」と彼女の声が聞こえたような気がしてチャペルの外へ出る。
4月だというのに寒風の中、彼女を見送ろうとする大勢の人たちが道にあふれ、遠くに、一緒にレコーディングしたエンジニアや、「うさぎのユック」を作るきっかけになった女の子のお母さんなどの顔が見えた。みんな、それぞれに絵門さんへの別れを言わずにはいられなくて集まってきたのでしょう。でも、声をかけようにも人が多くて身動きできない。
やっと、絵門さんと仲のよかった共通の友人を見つけたとたん涙があふれてきた。頑張ったよね。最後まで…。そこで女性週刊誌の記者に呼び止められ、絵門さんの話を…と言われる。迷った末、絵門さんは私にどうして欲しいかしら…と考えて、取材を受けることにする。
8日、やっとひとりになって、静かにゆう子さんのことを考える。彼女とおつき合いしたこの3年の間に話したこと、作った作品、お互いのイベントにゲストとして出演したステージ、レコーディング、電話、食事、旅行…。お互いに触発しあって楽しく濃い時間が過ごせたと思う。自分の病気のことよりもまず人のことを気遣い、「ありがとう」「ごめんね」が自然に言える人柄。やろうと思ったことはやり通す意志の強さ、いつも未来のことを考え、今日を精一杯生きていたゆう子さん。約束のいくつかは果たし、いくつかは果たされないで逝っちゃったね。残された私たちで、できることは形にして、伝え続けていくからね。
テレビで流れるゆう子さんの映像を見てもなぜかピンと来ない。私にとってはニュースなんかじゃないんだと思う。ピアノの部屋に行くと、ここで歌の練習をしたよね…と私の中のゆう子さんに話しかける。ゆう子さんの方が年上なのに、いつも私がお姉さんみたいだった。
9日の今日、たくさんの友人や知らない人からも励ましのメールやFAXを頂いたことを思い出し、ホームページを更新しなくてはと思う。私のことを気づかってくださってありがとうございます。
何だか、4日間、私の中の時間が止まってしまったみたいでしたが、大丈夫。少しずつもとに戻していきます。そして、ゆう子さんのために何ができるか、少しずつ考えていきます。
桜の季節。日本がこんなにきれいなときに天国に行ったんですね。
ゆう子さんのことだから、きっと天国で、元気に歌ってる気がする!