樹原涼子ようこそピアノランドへ!

 
 
 


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お元気ですか?

 先週の金曜日、取材されたコメントが記事になるというので、スタッフが掲載紙(女性セブン)を買ってきました。行きつけの美容院に週刊紙は置いてないので、今までじっくり読んだことがなかったのですが、絵門さんと私が並んだ写真が写っているのを不思議な気持ちで眺めました。

 これは、昨年のごきげんバンドとのクリスマスコンサート(12月22日)の打ち上げパーティーでの写真で、ハーモニーホール近くのルーマニア料理店で楽しく食事をした時のものです。いつもカメラを持って来てはリハや打ち上げで写真を撮ってくれるスタイリストの友達のおかげで、この写真が手元にあったのをお貸ししました。(ほんとは、いつ何をどんな風に着用したか記録しておくために持ち歩いているカメラなのですが…)

 本番後私服に戻ってリラックスしている表情、その年最後の仕事を終えた安堵感が漂っている…のは私の方で、このあとゆう子さんは聖路加国際病院チャペルでの朗読コンサート(27日)と長野での講演会(28日)までやったのでした。やっぱり、働き過ぎだったかもしれません。でも、そうすることが生き甲斐だったのだから、彼女の生き方をまわりは尊重するしかありませんでした。それを支えていらした三門さんの包容力は本当にすごいと改めて思います。

 実は、プライベートな旅だから取材では詳しく触れていないけれど、(ゆう子さんはご自分のホームページにも書かれていたと思うのですが)年末には一緒に一泊旅行をしたのでした。往復の電車や宿で、これから書きたい「うさぎのユック」の続きの話、以前からあたためているミュージカルの話(これは音楽をやってねと言われたけれど、叶いませんでしたね…)、5月頃出版される本にもユックのようなテーマソングを作りたいからまた曲を書いて欲しいなど、いつも“これから”についてたくさん話をしていました。そして、赤ちゃんが欲しい、とも。

 やっと、私自身の原稿のペースも戻り、今週からバリバリやっていますが、やはりこたえています。土曜日は小原孝さんが発表会で「光る星があったから」をソロで歌ってくれたのを聴いて、号泣してしまいました。ずっと我慢していたのでいっぺんにほどけたというか…。ありがとう、小原さん。ここでちゃんと泣いておかないと、先に行けないかもしれません。

 今週号にもまた取材記事が出るようなので、私の発言部分を校正させてもらいました。週刊紙やテレビでは、病気の悲惨さが強調されがちですが、病気であっても人のためになることを何よりも喜び、そのような仕事を自ら生み出していったゆう子さんの素晴らしさにこそ、スポットを当てて欲しいと思わずにいられません。

 売上部数や視聴率が大切な世界で、そしてニュース価値のある短い期間に作ってしまわなくてはならない中にあって、良心を持って仕事をしているマスコミの人にお会いできたこともよかったと思います。

 私には、私の仕事を待っていてくれる人がいることが励みになっています。それと同時に、私にしかできない、ゆう子さんへの恩返しもあるかな、と、少しずつ考えてみたいと思っています。

 hara hara倶楽部のCD「光る星があったから」は、期せずして、生きること、生命がテーマになって、アルバム全体がひとつの大きな星のようになったなとしみじみ思います。心静かにお聴きいただければ幸いです。

2006年04月17日 樹原涼子
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