樹原涼子ようこそピアノランドへ!

 
 
 


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お元気ですか?

飛ぶように毎日が過ぎていく…大きな締め切りがあると、そんな気分になります。大きな締め切りがあると、毎月の連載が小さな締め切りに感じられて、10枚少々なら昔ほど苦労しないでするりと書けるようになった気がするのが不思議です。それに、大きなことを片づけようとすると、目の前の細かい仕事を片づけないと取りかかれないので、それらはぐんぐんと片づけていくのですが、えてして、大きな仕事に行き着く前に一日が終わってしまいます。

連休に入ると、世の中の会社はほとんどお休みになるし事務所のスタッフも休むので、電話も鳴らずに昼間でもどっぷり原稿が書けるはず!と、大きな仕事に取り組むためのまとまった時間がもうすぐ手に入るのが楽しみです。
なるほど、作家がホテルに缶づめになる気持ちがよくわかります。レコーディングは、必然的に“缶づめ”だから集中できるんですね。

絵門さんが天国に旅立ってから3週間が過ぎました。少しずつ、ここにはもういないことがわかりかけてきたと同時に、やっぱりここにいる…と思えるようになってきました。絵門さんを支えに生きてきた人がとてもたくさんいることも、お便りをたくさんいただいてよくわかりました。

絵門さんは、昨年の夏の間中、「がんでも私は不思議に元気」(新潮社)を書き続けていました。私のクリスマスコンサートのゲストに出演した日になんとか本が間に合って、会場でサインしてくれましたっけ。あれだけの本を書くエネルギーは、本当にすごい! 私が書く時間がないなんて言っていられないと反省…。
「大丈夫、涼子さんなら書けるって」と、笑って励ましてくれる声が聞こえるようです。

それでは、みなさま楽しいゴールデンウィークを!

2006年04月28日 樹原涼子
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こんにちは、お元気ですか?

 4月20日、21日はピアノランドマスターコース、コード塾と続いたので、頭も体も仕事モードにスイッチON!

 使命感に燃えると元気にならざるをえないから、やるべきことがそこにあるおかげで救われています。そして、みんなが成長して結果がついてくるととても嬉しくて、アイディアが次から次へと湧いてきて、大急ぎでノートに書きとめて、またそれを実践して…と、良い循環が生まれてきます。

 研究することと、実際に誰かに伝えていくこと、それを本などの形に残していくこととの三つのバランスがうまくいくように工夫するのが大変だけど、多分あとでふりかえると今が一番充実して脂がのっている時期だと思うので、頑張り時かな。

 それは、作曲すること、歌ったり演奏したりすること、それを楽譜やCDにして残していくことの三つについても、また同じことです。

 こういう仕事をする星のもとに生まれてきたんだな、と改めて思います。そしてそれが誰かの役に立つのなら、嬉しいことです。

 この4月は大変なスケジュールだったので、週末は眠り続けて疲れを取りました。
心も体もリセット。

 また、今週もがんばろう!

2006年04月23日 樹原涼子
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お元気ですか?

 先週の金曜日、取材されたコメントが記事になるというので、スタッフが掲載紙(女性セブン)を買ってきました。行きつけの美容院に週刊紙は置いてないので、今までじっくり読んだことがなかったのですが、絵門さんと私が並んだ写真が写っているのを不思議な気持ちで眺めました。

 これは、昨年のごきげんバンドとのクリスマスコンサート(12月22日)の打ち上げパーティーでの写真で、ハーモニーホール近くのルーマニア料理店で楽しく食事をした時のものです。いつもカメラを持って来てはリハや打ち上げで写真を撮ってくれるスタイリストの友達のおかげで、この写真が手元にあったのをお貸ししました。(ほんとは、いつ何をどんな風に着用したか記録しておくために持ち歩いているカメラなのですが…)

 本番後私服に戻ってリラックスしている表情、その年最後の仕事を終えた安堵感が漂っている…のは私の方で、このあとゆう子さんは聖路加国際病院チャペルでの朗読コンサート(27日)と長野での講演会(28日)までやったのでした。やっぱり、働き過ぎだったかもしれません。でも、そうすることが生き甲斐だったのだから、彼女の生き方をまわりは尊重するしかありませんでした。それを支えていらした三門さんの包容力は本当にすごいと改めて思います。

 実は、プライベートな旅だから取材では詳しく触れていないけれど、(ゆう子さんはご自分のホームページにも書かれていたと思うのですが)年末には一緒に一泊旅行をしたのでした。往復の電車や宿で、これから書きたい「うさぎのユック」の続きの話、以前からあたためているミュージカルの話(これは音楽をやってねと言われたけれど、叶いませんでしたね…)、5月頃出版される本にもユックのようなテーマソングを作りたいからまた曲を書いて欲しいなど、いつも“これから”についてたくさん話をしていました。そして、赤ちゃんが欲しい、とも。

 やっと、私自身の原稿のペースも戻り、今週からバリバリやっていますが、やはりこたえています。土曜日は小原孝さんが発表会で「光る星があったから」をソロで歌ってくれたのを聴いて、号泣してしまいました。ずっと我慢していたのでいっぺんにほどけたというか…。ありがとう、小原さん。ここでちゃんと泣いておかないと、先に行けないかもしれません。

 今週号にもまた取材記事が出るようなので、私の発言部分を校正させてもらいました。週刊紙やテレビでは、病気の悲惨さが強調されがちですが、病気であっても人のためになることを何よりも喜び、そのような仕事を自ら生み出していったゆう子さんの素晴らしさにこそ、スポットを当てて欲しいと思わずにいられません。

 売上部数や視聴率が大切な世界で、そしてニュース価値のある短い期間に作ってしまわなくてはならない中にあって、良心を持って仕事をしているマスコミの人にお会いできたこともよかったと思います。

 私には、私の仕事を待っていてくれる人がいることが励みになっています。それと同時に、私にしかできない、ゆう子さんへの恩返しもあるかな、と、少しずつ考えてみたいと思っています。

 hara hara倶楽部のCD「光る星があったから」は、期せずして、生きること、生命がテーマになって、アルバム全体がひとつの大きな星のようになったなとしみじみ思います。心静かにお聴きいただければ幸いです。

2006年04月17日 樹原涼子
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こんにちは

絵門ゆう子さんが亡くなってから、10日あまりが過ぎました。友人の私にまで放送局や雑誌の取材がくるので、ご主人の三門さんはあれからどんなに大変な日々を送っていらっしゃることでしょう。

 告別式の前日「最後のステージで樹原さんと歌った“その手を胸に”を告別式で使わせていただいていいですか」とご連絡をいただいて、もちろんどうぞ、とお答えしましたが、ゆう子さんにお別れを告げ三門さんにご挨拶するちょうどそのときにこの曲が流れていました。「ゆう子は樹原さんにお会いできて本当によかったと思います」と言っていただいて、とても嬉しく「それは、私もです」とお答えしたのか心の中で思ったか…。

 遺族の涙もかわかないうちに取材しなくてはならない側の苦労もわかりますが、同じ質問を繰り返しいろんな人から聞かれるのは、さぞおつらいだろうと思います。私も、どんな思い出がありますかどんな方でしたかと矢継ぎ早に聞かれて一言で答えるのは容易ではありませんでした。自分も原稿を書く仕事をしているだけに、いい加減なことは答えられないと思い、先週末はここ数年の手帳を見返してゆう子さんとのおつきあいをふりかえってみました。

 書き抜いてみると、仕事を一緒にしたというより思いつく言葉としては“同志”とか“親友”とか、魂の結びつきを強く感じた2年数ヶ月でした。

 お互いの忙しさを考えると、よく連絡を取り合っていたな、たくさん話をしたなと改めて思います。彼女は早起きで、相談があるときは朝8時半ごろ電話をくれることが多かったな(その時間は他の電話に邪魔をされない)とか、「ありがとう」と「ごめんね」がとても上手だったなとか、歌詞を何度も何度も推敲しては「どう思う?」と繰り返し練っていたなとか…。

 ゆう子さんが作詞をしたり歌ったりと、新しい分野に挑戦するきっかけになれたことはとても嬉しく、音楽やおしゃべりに費やしたたくさんの時間は彼女も病気を忘れて楽しく過ごしてくれたかな、と思います。

 ある程度(というか、彼女はすごく!ですが)有名になると、なかなか利害関係のない親しい友達ができにくくなるものですが、なぜかお互いウマが合ったのでしょう。また、私はテレビをほとんど見ないので、知り合う前のゆう子さんについては何も知らず、先入観なくつき合えたのもよかったのかもしれません。
 
 12日水曜日は名古屋でセミナーをしました。高度な連続セミナーの内容によくついて来てくれる…先生たちの向上心は痛いくらいで、もっともっと上手にしてあげたいと心から思います。セミナーの最後に「友人を亡くして悲しい一週間だったけれど、みなさんがこんなに頑張って勉強してくれて嬉しいです。やりがいのある仕事があって私も救われた思いです。みなさんも家族や生徒たちのためにも健康診断をして、長生きして、音楽のすばらしさを伝えていってくださいね」とあいさつをして終わりました。

 たとえ病気でなくとも、いつか死ぬ日が必ず来ることを意識して、今できることを一生懸命やること…死ぬことを知っているから、“今”の大切さがわかるのかな…。

 「今日も心のアンテナをしっかりたてて、雑に生きないようにしよう」と思いました。

 本の原稿が中断してしまったけれど、ねじを巻き直してスタートです。ピアノの先生や子どもにピアノを習わせている親ごさんへ向けてのメッセージとなる本。私の今までの経験を凝縮して、ピアノが“習わされるもの”ではなく“ピアノのおかげで幸せ!”と言えるものになるよう、先生と親の両方の気持ちを橋渡ししたいと思うのです。

 ゆう子さんの本や絵本や詞がたくさんの人を勇気づけたように、私も、いい本が書けるよう努力するから見ててね!

 それではみなさん、お元気で。

2006年04月13日 樹原涼子
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4月3日に絵門ゆう子さんが亡くなりました。

 5日夜にホームページの原稿を書いたときには、まだ亡くなったことを知らず、6日の朝刊で死亡記事を見て初めて知ったのでした。

 その日の夜10時頃、テレビ朝日の取材が来て、絵門さんの思い出は、どんな人だったかと質問を受けたのですが、まだ亡くなったことが信じられず、何と答えてよいのか…。ただ、絵門さんがどんなに最後まで今を大切に生きようとしていたか、ひとつひとつの仕事に全力投球していたかは、伝えなくては…。

 7日朝10時30分から聖路加病院のチャペルで告別式。ほとんど眠れないままボーッとして出かけたせいか、財布を忘れて出かけてしまう。三門さん(ご主人)のお別れの言葉を聞いたとき初めて、ああ、亡くなったんだと思う。白い菊に埋もれた絵門さんは、ほんの少しほっそりして、もう笑ってはいなかったけれど、凛として美しかった。彼女の最後の作品となった「その手を胸に」と一作目の「光る星があったから」が流れる中、献花することになるなんて思わなかった…。でも、最後に気に入った曲ができて、クリスマスにも2月にも一緒にステージができてよかったね。ありがとう。絵門さん。

 右肩に花を置いて「いってらっしゃい」と言ったら、「涼子さん忙しいのに来てくれてありがとう」と彼女の声が聞こえたような気がしてチャペルの外へ出る。

 4月だというのに寒風の中、彼女を見送ろうとする大勢の人たちが道にあふれ、遠くに、一緒にレコーディングしたエンジニアや、「うさぎのユック」を作るきっかけになった女の子のお母さんなどの顔が見えた。みんな、それぞれに絵門さんへの別れを言わずにはいられなくて集まってきたのでしょう。でも、声をかけようにも人が多くて身動きできない。

 やっと、絵門さんと仲のよかった共通の友人を見つけたとたん涙があふれてきた。頑張ったよね。最後まで…。そこで女性週刊誌の記者に呼び止められ、絵門さんの話を…と言われる。迷った末、絵門さんは私にどうして欲しいかしら…と考えて、取材を受けることにする。

 8日、やっとひとりになって、静かにゆう子さんのことを考える。彼女とおつき合いしたこの3年の間に話したこと、作った作品、お互いのイベントにゲストとして出演したステージ、レコーディング、電話、食事、旅行…。お互いに触発しあって楽しく濃い時間が過ごせたと思う。自分の病気のことよりもまず人のことを気遣い、「ありがとう」「ごめんね」が自然に言える人柄。やろうと思ったことはやり通す意志の強さ、いつも未来のことを考え、今日を精一杯生きていたゆう子さん。約束のいくつかは果たし、いくつかは果たされないで逝っちゃったね。残された私たちで、できることは形にして、伝え続けていくからね。

 テレビで流れるゆう子さんの映像を見てもなぜかピンと来ない。私にとってはニュースなんかじゃないんだと思う。ピアノの部屋に行くと、ここで歌の練習をしたよね…と私の中のゆう子さんに話しかける。ゆう子さんの方が年上なのに、いつも私がお姉さんみたいだった。

 9日の今日、たくさんの友人や知らない人からも励ましのメールやFAXを頂いたことを思い出し、ホームページを更新しなくてはと思う。私のことを気づかってくださってありがとうございます。

 何だか、4日間、私の中の時間が止まってしまったみたいでしたが、大丈夫。少しずつもとに戻していきます。そして、ゆう子さんのために何ができるか、少しずつ考えていきます。

 桜の季節。日本がこんなにきれいなときに天国に行ったんですね。

 ゆう子さんのことだから、きっと天国で、元気に歌ってる気がする!

2006年04月 9日 樹原涼子
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桜の季節いかがお過ごしでしたか?

 私は、3月30日福岡での「ピアノランド」公開レッスンの翌日、熊本城の満開の桜を見て東京へもどり、4月3日は中央高速から美しい富士山を眺め、国立のすばらしい桜並木を抜けて…と、春の仕事は桜と共に過ごしました。これだけ春を満喫すると、心はふんわり桜色に染まります。どんなにハードでも、桜を見ていると元気が出てくるのは不思議です。

 福岡では、とても音響のよい、「あいれふホール」でコンサート状態の公開レッスン(レッスンパーティー)。出演者の先生たちの準備が万端で、ピアノランド2巻、3巻の曲とはいえ、レベルの高い内容となりました。レッスン室とホールでは、ピアノも残響時間も違います。いつもは気にならないようなことでも、ホールではとてもよく聞こえます。ひとり50分×5人と、じっくり音楽のひだに分け入って勉強できたので本当によかったと思います。好評につき、来年も…と嬉しいリクエストがありましたが、公開レッスンは体力がいるので今のうちにいっぱいやっておかなくちゃ。

 そして国立での「春休みスペシャル 公開レッスンコードネーム 歌って弾こう! part2」。小学2年生から小学6年生までの5人に、コードネームでアナリーゼして曲を表現していく方法をレッスンしたのですが、会場のみなさんが驚くほどの吸収力。コードネームが初めての生徒たちが、どんどんコードを覚えて表現が変化していく様子は全国に放映したかったくらいです!

 どちらの公開レッスンでも、和声変化とタッチ、表現の関係がテーマでしたが、作曲家の考えを汲み取るために和声の分析が欠かせないことが広まっていくよう、続けていこうと心に誓いました。詳しくはピアノランドメイトでも報告します。

 さて、今は“本”の原稿書きで過酷な日々を過ごしています。1日に十枚以上書くのは、他のスケジュールが少しでも入っていると難しいのと、いったん他の仕事で書くのを中断すると頭を戻すのに苦労するところは、作家のように書き慣れていないから仕方ないのですが…。楽譜は数十冊書いてきたけど、文章だけの“本”はこれがデビューなので、当分ねじりはち巻きは続きます。

 そんな時に、hara hara倶楽部のゲートシティ大崎でのライブを偶然聴いた親子が、公開レッスンに来てくれたり、知り合いに「光る星があったから」をもらってとても心に響いたので施設に贈りたいので注文を…と遠く都城から連絡をいただいたりして、とても励まされています。7月14日のhara hara倶楽部のコンサート(川崎市)までに、この本が出来るのを楽しみに…コツコツと頑張ります!

 コードと機能を結びつけた分析に興味のある方は、カワイ名古屋でのコード応用編のセミナー(4月12日)でお会いしましょう!その後約1ヶ月は、本の執筆のためセミナーはお休みです。

 お元気で!

P.S. 昨夜まで、何も知らなかった…
今朝の新聞で、絵門ゆう子さんが3日に亡くなったことを 知りました。
午前中にご主人からお電話をいただきましたが、ついこの 間まで電話で話していたのに、にわかには信じることができません。
どうして?次の詞を書くって言ってたのに。
明日がお葬式とのこと。ショックです。

2006年04月 6日 樹原涼子
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