お元気ですか?
最近、大作曲家の手書きの楽譜が発見されてニュースになっていますね。先日は、モーツァルトの譜面を妻のコンスタンツェが売り払ってしまったものが出てきたとか。
また昨日の日経新聞に、校正魔だった中原中也が、途中何度も直した、しかも製本されている校正原稿が出てきた話が出ていました。
作曲をしたり原稿を書いたりする私にとって、どちらも身近な話です。時間の許す限り校正して、限りなく美しく仕上げたい私としては、途中原稿まで製本されているなんて、わぁ〜いいな…と思ってしまいますが、これは編集者もさぞかし大変だったろうと思います。
出版物に関しては、内容さえきちんと伝われば細かいことは気にしないタイプと(そうとしか思えないような出版物、ありますよね)、イメージ通りでなくては…と細部までこだわるタイプがあると思うのですが、私はしっかり後者です。
いつか、ある方の本の表紙がステキだったので「ステキな表紙ですね」と申し上げたら、「表紙は私が書いたんじゃありません!」と言われて面喰らったことがあります。私は、作品の顔となる表紙にはいつもこだわりを持って作っています。表紙まで含めて私の本…と愛情、愛着を持っているものですから、その方の反応には本当にびっくりしました。中原中也のその本のように、隅々まで作者の考えが表われている場合と、作者は書いた内容にしか興味がなくて、見せ方はおまかせの場合があるのだということですね。
そう考えていくと、大昔の大作曲家の譜面も、そのどちらのタイプだったかというのは演奏者にとって大問題です。
音楽の場合は、ひとつの作品がいろいろな国の出版社から、それぞれに異なった校訂者のもと出ていますが、作曲者は本当はどう考えていたのかしら、どの版が一番元々の考えに近いのかしらと悩んでしまいます。あまりにも校訂した人の考えや個性が出過ぎてしまうと、もとの曲の解釈からはずれてしまうこともあるし、かと言って大ざっぱにしか書いていない作曲家のものは素人に不親切ですし、本当はその作曲家が「これです、この版です!」というものを残しておいてくれるといいのですが…。
今年も、新しい作品を世に出していくため、一文字一文字、音符の一つ一つを紡いでいく気の遠くなるような日々が始まります。健康でクリアな頭で、楽しんで仕事ができますように。そして、内容はもちろんのこと、イメージ通りのパッケージでみなさんのもとに届けられるところまで頑張ります。
えっ、何を作るかって?
それはまだ秘密です(笑)。
お元気で!