勉強。それは、知りたいことを突き詰めていく面白さだ 2
先日は、ホルショフスキーとの出逢いによって、私がどんな風に変わったかを書きました。
つまらないと思っていたスケール練習が、実は、その後の私にとってどんなに大切なものになったか。
今日は、そのきっかけとなった、ホルショフスキーのドキュメンタリー番組のことを書きます。
写真は本文とは関係ありませんが、何かピアノの写真を……と引っ張り出してきました。武蔵野音楽大学新校舎のブラームスホールにあるスタインウェイ。まろやかな美しい響きでした。
何が私の心を動かしたか
偶然スイッチをいれたテレビから、90歳を越えた小さなおじいちゃんピアニストの日常や演奏会の様子が流れてきました。名前も初めて知りました。ミェチスワフ・ホロショフスキー。
彼の規則正しい日課は全て音楽のためにあることが一目でわかりました。
スラリと背の高いピアニストである奥さんに支えられながら、舞台の袖で、「今日は何を弾くのだったかな」と尋ねると、彼女は微笑んで曲名を伝え、ホルショフスキーはピアノに歩み寄って演奏をはじめる……!
その音楽はとても端正で美しく、大げさなところはないのに深く心に届きました。
音楽だけがそこにある静けさと美しさ。
聴衆が心から彼を尊敬していることが伝わってきました。
モーツァルトの再来と言われるホルショフスキー。
彼の体も手も、とても小さいけれど、音楽はとても豊かでした。
日本での知名度は低いけれど、彼が特別な存在であることはすぐにわかりました。
番組の後半で彼がスケールを弾いたときに、私は全てを理解したのです。
ナレーションで、耳を疑うような言葉がありました。
彼がアンコールで「スケール」を弾くと、聴衆はみな涙を流すと言うのです。
「え? それはちょっとオーバーな表現ではないかしら……」と私は思いました。
そのときまで、前回書いたように、スケールは私にとってピアノを弾く人の義務であるという常識、思い込み、先入観があったので、にわかには信じられなかったです。
が、ホルショフスキーが自宅でスケール練習を始めたところで、私は息を飲みました。
「美しい」という言葉をこれまでも沢山使ってきたけれど、ホルショフスキーのスケールよりも美しいものがあっただろうか、こんなに心を奪われたことがあっただろうか……。
本当にただ、音が上っていったり下りていったり、それだけなのに、それだけなのに。
呆然と画面を見つめていたと思います。
スケール。これがスケール?
幼稚園の頃、アップライトピアノが庭から運ばれてくるのを見て、嬉しくて嬉しくて目から熱いものが流れてきて、嬉し泣きというものを知らなかった私はどうしたらいいのかわからなかった……あのときのような、信じられないくらい嬉しいことが目の前で起こっているのでした。
スケール。ああ、これが本物のスケール。
それまで私が弾いていたのとは全く別のものでした。
このような体験をすると、もう、後戻りできないのです。
ホルショフスキーのスケールを知らなかった頃の自分にはもう戻れない。
ああ、明日から、どうしよう。
私にこのようなスケールが弾けるだろうか。
何ということだろう、何十年もピアノを弾いてきたのに、私はまだ何も知らない。
それはまるで奇跡を見ているようでした。
毎日同じ時間に食事をして、散歩をして、スケールを弾いて、バッハやモーツァルトを弾いて、人生の時間をすべて音楽のために捧げ尽くした100歳近い一人のおじいさんが辿り着いた境地。
アンコールでこのスケールを生で聴いたら、間違いなく泣くでしょう。
心が震えるようなスケールが弾けたなら、どんなに素晴らしいでしょう。
もちろん、翌日から私はスケールを丁寧に弾くことにしました。
ドレミファソラシド。
ああ、なんて難しいんでしょう。
それから、何がどう違うのか、どうしたらいいのか、私の研究が始まりました。
スケールが弾きたくなったので、今日はこの辺で。
つづきは、また今度。
2018年 4月 4日(水)
音感教育とテクニックの融合を!
話題の『ピアノランド スケール・モード・アルペジオ』応用編
〜バッハ インヴェンションへの扉を開ける〜
10:30〜12:45
TEL03-3409-2511