天国の梯郁太郎さんへ 感謝を捧げます
ローランドの創業者である梯郁太郎さん。
まだまだお元気かと思っていましたが、4月1日にお亡くなりになりました。
梯さんのおかげで、私は日本で初めて、オーケストラ付きのミュージックデータを開発して、ピアノ教育界に新風を吹き込むことができました。
そのご恩は忘れることができず、今日は、梯さんに感謝を捧げたいと日記を書くことにしました。
世界中の多くの音楽家が梯さんを思い、感謝と哀悼の意を捧げています。
梯さんが世界の音楽界に遺されたことはあまりに大きく、とても一言では言い尽くせません。
スティービーワンダー、冨田勲さんという世界的なレベルで音楽界を牽引していらした方達に、音楽の未来を開く絵筆としての電子楽器を次々に開発、提供して、世界中の人に多くの幸せと喜びをもたらしてくださった梯さん。
梯さんが「世界中の誰でも自由に使えるように」と、大発明であるMIDIの特許をあえて取らず、その奇跡的な技術をみんなのものとして広める道を選ばれたことはあまりにも有名です。
MIDIとは、例えば水道や電気のようなもので、音楽のインフラを発明された、と言っていいと思います。
5年前に受賞されたグラミー賞テクニカル部門の受賞は、そのMIDIの開発に授与されたもので、何とその第一回の受賞者は、あのエジソン! と言ったら、どんなに凄いことなのかお分りいただけると思います。(と、多くの方が解説しておられます!)
これは、そのお祝いの席にお招きいただいたときの写真です。(2013年6月12日)
錚々たる顔ぶれで、今となっては、大変貴重な写真となりました。
私も、このMIDIの技術によってもたらされたシーケンサーMTシリーズによって、ピアノ教育界に貢献することができました。
その経緯を、かいつまんで書きます。
1991年、私は思うところあって『ピアノランド』という連弾で歌詞付きの曲集教材を音楽之友社から発表しました。
音大卒業後、CMやアニメ、ゲーム音楽の作編曲演奏などをしながらピアノを教えていた私は、昔ながらのピアノ教育に欠けているものを沢山発見することができました。
コード譜がスラスラ読めてそれに応じた即興ができること、独りよがりのテンポではなくドラムやベースとリズムセクションとして一体になれること、指揮者や作曲者のような耳で音楽全体を聴きながら演奏することなど、プロの必須条件を念頭に置いてのピアノ教育が必要ではないか。
時代に即した教育方法を!と考えたときに、オーケストラやバンドと一緒にするような練習を自宅でも楽しくできる方法がないかと模索していました。
家で100回練習するよりも、自分よりも上手な人と1回の本番を経験する方がはるかに上達する!
この大発見を生かし、ピアノのレッスンを根本から変えたいと思いました。
これが、連弾でスタートするピアノランドの考え方です。
オケと同じ音域の広さを持つピアノですから、伴奏パートにはオケの様々な楽器の音色も想定、それまでの子供用連弾曲とは一味違う曲集が誕生しました。
これは評判を呼び、おしゃれな和音やリズム、カラフルで楽しい響きは多くの方に喜ばれ、『ピアノランド』はあっという間に大ヒットとなりました。
それまでになかったもの、私が自分で使いたいと思うようなテキストがやっと出来上がった喜びは大きかったのですが、まだ、自宅でオーケストラ練習ができる夢は実現していませんでした。
そんなある日、「素晴らしいものができたので、ぜひ、浜松に見に来てください」と、ローランドからお招きをいただきました。
浜松の工場まで伺うと、なんと社長の梯郁太郎さんが作業着を来て待っていらして(!)、工場を案内してくださいました。
そして、「凄いもんができたんですよ。ちょっとこれ」と、嬉しそうにMT120Sを見せてくださったのです。
(これは、その後購入してレッスンで使ったもので、もうボロボロですが)
「まだ、日本では誰もこれに対応するソフトを作ってないけれど、これは絶対いける。あなたが作ってみませんか?」と、嬉しそうにイギリスで作られたソフトを聞かせてくださいました。
それは、フロッピーディスクを再生すると、オーケストラ付きの音源が流れる機械で、簡単に、好きなパートだけを選んで再生することができ、テンポを変えても音程が変わらない! しかも、音の高さは生のピアノに合わせて微調整することができる!
マイナスワンのCDにはできない芸当ではありませんか。
「ええ〜〜〜! それ、私が欲しかったものです!!」
梯さんはとても嬉しそうに、ちょっと体を傾けるようにして身振り手振りで、どんなに素晴らしいものができたかをわかりやすく説明してくださいました。
私は興奮しました。
それまでにもシーケンサーはすでにあったのですが、スピーカー付きでラジカセのように簡単に使える機種が誕生したことで、「グランドピアノの横に置いて使える」、つまり、クラシック畑でのミュージックデータ普及が可能になったのです。
一も二もなく、「ピアノランドのソフトを作ります!」とお話しして、音楽之友社に開発を提案、すぐに制作をスタートしたのでした。
実際のオーケストラの楽器をサンプリングした音色で、ピアノランドのオーケストラを作っていく作業はとても楽しく、編曲と打ち込みをお願いした外山和彦さんと一緒に、膨大な曲数を作っていきました。
1991年にピアノランドを出版、確か93年に工場を訪れ、94年にはもう、そのミュージックデータを作り発売したので、梯さんの情熱が乗り移ったかのようでした。
ピアノランド全曲、テクニックシリーズ、ピアノランドコンサート、プレ・ピアノランドと、シリーズ全ての曲に対応したソフトが発売されました。
この新しい教育方法を広めるべく、ミュージックデータのシンポジウム、セミナーが全国各地で開かれ、その意義を、多くのピアノ指導者の方が理解してくださって、瞬く間にミュージックデータが広がっていきました。
ピアノランドに続いて様々なメソッドのミュージックデータが発売され、ヤマハ(伴奏くん)、カワイ(学習くん)もシーケンサーを開発、時代は変わりました。
誰かと音楽を共演する楽しさ!
孤独だったピアノの練習が、楽しくなるだけではなく、緻密なテンポ感、リズム感を身につけ、いつでもオケと共演できる力をつけることができる。
梯さんが作られたMIDIは、ピアノ教育の現場を変えていったのです。
そのうち、もっと出力の大きい機種を、とMT300Sが開発されました。
この機種では、メトロノーム機能を表す液晶部分に、リズムの空間が感じられるように「ボールがバウンドするような曲線を描いて欲しい」という私のリクエストに応えてくださって、「リズムボール」という『プレ・ピアノランド』の造語のイメージにぴったりのものを開発していただきました。
音楽家の希望を取り入れて製品を作るというのは、ベートーベンやモーツァルトの頃からの楽器づくりの基本ですが、まさに、使う人に喜んでもらえるものを作りたいというのが梯さんの哲学だったと思います。
梯さんは、その後お会いするたびに「あの時は、リズムを下に刻んではダメだ、ま〜るくしなくちゃダメだとえらい怒られた」と何回も仰るのですが(笑)、怒ってません! 冷静にお願いしました!
下の写真は、94年から順次発売したフロッピーディスクのミュージックデータで、上記2つの機種で使われました。
フロッピーディスクは、その後15年以上も使われ続け、ロングセラーとなりました。
そして、フロッピーディスクが世の中から消えていく頃、ミュージックデータはUSBメモリーに形を変えて売り出され(写真の下部)、こちらは2010年から5年間販売されました。
フロッピーで15年、USBメモリーが5年。
USBメモリーに移植するときには、音源がグレードアップされたことに合わせて、各曲のデータのバランスを調整し直すという大変な作業をしましたので、フロッピー時代よりさらに音質、内容共にグレードアップしました。
その、USBメモリーに対応した機種が、MT90U。
MIDI音源ですから、ハードやソフトが形を変えても、中のミュージックデータはずっと「データ」としての価値を持ち続けることができました。
2015年から、ピアノランドのミュージックデータはUSBメモリーに代わり、音楽之友社のwebサイト、オントモ・ヴィレッジでダウンロードで発売されています。
ハードの方も今や機械ではなく、iPhone、iPad 専用のアプリ SOUND Canvas for iOS が誕生。
CDで音楽を聴く習慣のない若い人たちにとっては「音楽はダウンロードして聴くもの」。
目に見える形ではなく、パッケージがない形でミュージックデータが販売されるようになる日が来るとは思っていませんでしたが、とても嬉しいことです。
ええと、ハードがないので何を写せばいいのか悩みますが、アプリを入れて「どどどど どーなつ」を再生できる状態のiPhoneをパチリ。
リビングでも屋外、電車や車での移動中でも、Bluetooth対応のスピーカーやイヤホンでミュージックデータを楽しんだり、時間を選ばず、へッドフォンでオケの各パートを聴いて演奏のイメージトレーニングをしたりと、応用の幅も広がりました。
ピアノがない場所でも「聴く」練習が緻密にでき、オケとの演奏をシミレーションできるのは凄いことです。
最後にお会いしたときには、ピアノランドのミュージックデータの活用が、形を変えてもずっと続いていることを大層喜んでくださって、「まだまだMIDIには、素晴らしい可能性があるからね!」と仰っていたことが忘れられません。
昨年の夏、ミュージックデータで練習した子供たちの録音応募プロジェクトの成果もお知らせしようと、ピアノランドフェスティバルにご招待したときには、管(酸素)をぶら下げているので行けなくて残念だけど頑張るようにと、あたたかいお手紙をいただきました。
ミュージックデータがどのように役立っているか、きっと空からご覧いただけているのではと思います。
梯さんが手がけられた様々な製品は、世界中に音楽の革命を起こされました。
そのバイタリティあふれるお人柄も相まって、スティーブ・ジョブズのように、一つの時代を築かれました。
日本の片隅でピアノ教育の分野でも、小さな革命を起こすことができたのは、梯さんがあの日、私をお招きくださったから。
梯さんにお目にかかれたご縁に感謝すると共に、これからも、音楽の世界に貢献していけたらと心から思います。
梯さんがお亡くなりになる3日前の3月29日、オーチャードホールで、公益財団法人かけはし芸術文化振興財団主催で「The Brand-New Concert2017」が行われ、珍しく家族揃って足を運びました。
渡辺俊幸先生が案内役で、巨匠、冨田勲さんの作品でスタート、篠田元一、服部克久、千住明、川井憲次の先生方の作品が次々に演奏され、デジタル電子機器とオーケストラが一体となった素晴らしいステージが繰り広げられました。
会場でお見かけしなかったので少し心配な気持ちが胸をよぎりましたが、冨田勲さんと目指していらした、当たり前のように電子楽器がオーケストラと肩を並べた世界を音で実感することができました。
今思えば、出演された先生方は口々に、MIDIがあったからこそこのような作品が生まれたことを感謝され、天国に旅立たれる前の梯さんへ捧げていらしたかのようでした。
誰かがいたおかげで、何かが実現できた。
そして、それがあったおかげで、また誰かが何かを成すことができる。
世界は、そんな風にして、どんどんよくなっていくのだと信じたい。
その連なりの中に、生きていきたいと強く思います。
梯郁太郎さん、ありがとうございました。