2020年1月22日に思う、2つの時計

2020年1月22日に思う、2つの時計

あっという間に新しい年が来て、その1月の半分も過ぎているなんてびっくり!
今年になって一度も更新していないことにさっき気づきました。実は、書きたいことがあり過ぎてずっと書けなかったのです。

 

4月に父が突然亡くなったときから私の中で二つの時計が別々にチクタクしているんです。
一つは、仕事の時計、一つは心の時計。

仕事の時計の方はもう、ずーっと休みなくチクタクと刻み続けているから、父の死の翌日も、舘野泉先生が私の曲を演奏してくださる《樹原涼子》を弾きたいシリーズ トーク&コンサートは予定通り開催しました。
コンサートの間中、父が側で聴いていてくれるような気がしながら、ちょっとふわふわと宙に浮いたような気持ちでしたが、しっかりとコンサートを進行してトークも先生との連弾も終えて、その日のお通夜に熊本まで急いだのでした。
4月17日父が亡くなり、18日が汐留ベヒシュタインでコンサート〜熊本でお通夜、19日は告別式、20日は神戸で舘野先生とコンサート、21日は早朝の新幹線で施設の片付けに向かい……、容赦無く時が過ぎていくのを呆然と見ている私とステージに立つしっかり者の私は、同じ体の中で二つの時間を生きているようでした。

父のために書いた「やさしいまなざし」他、両親への思い溢れるプログラムを、舘野先生は慈しむように演奏してくださって、ステージの舘野先生はまるで父のようで、大きく温かい。
私の手を離れた曲たちは舘野先生に命を与えられ、芳醇な音色で時空を超えるように奏でられ、ホールの隅々に溶けていきました。
お客様が喜んでくださって、とても嬉しい。
そして、とても悲しい。

舘野先生とマリアさん(奥様)、主催してくださったぷちピアノランド関西のみなさんのあたたかさに包まれて感謝の思いに包まれ、赴任地のタイから告別式参列のため帰国した長男が神戸まで付き添ってくれたことも嬉しくて。
だけど、やはりとても悲しい。

 

 

 

 

そんな風に、仕事の時計が確実に進んでいく中、私の心の時計はぽつんと置き去りにされていました。
ああ、もっとこうしておけばよかった、あのときこう言えば父は楽になったのではないかと、小さな後悔が束になって押し寄せてきます。
「親を見送った誰もがそう思うんだよ、どんなに頑張ってもそう思うんだよ」と言われて、そうか、これは通過儀礼のようなものなのだろうか?
“時が薬”なのであれば、時間が過ぎていくのを待つ他に何ができるのか?
それは、もう一つの時計を先に進めることしかないのではと、コツコツと仕事をしてしまう私。

 

そんな中で思いついたことがありました。
そうだ、晩年の父ではなく、もっともっと時を遡って、父が元気な頃の楽しかったことをいっぱい思い出したらどうだろう。私は父とどんな思い出があるのだろう?

 

悲しくなるたびに、「思い出したら幸せな気持ちになれること」を繰り返し思い出そう、と私は思いました。
自分で自分のセラピーをするかのように、私は心の時計をもっともっと過去に巻き戻すことにしたのです。

一番ホッとするのは、小学生になったばかりの頃、家族でどこかに出かけた帰りに疲れてバスで眠ってしまった私を、父がおぶって家まで帰ってくれるときの背中の心地よさ、です。
父の背中にいるだけで、世界中で何が起ころうと私は安全で幸せだったし、無条件に愛されていたという記憶が蘇ります。

その思い出は、私をどんなに強くしたことでしょう。

もしかして、親ができる1番の子供へのプレゼントは、そういう贈り物なのかもしれません。

 

 

こうしている間にも、仕事の時計はずんずんと進み、来年はピアノランド30周年になるので、2年がかりで様々な出版計画が進んでいます。
仕事、と言っても、音楽です。
大変でもやり甲斐のあることばかりで、何度やり直してもこういう風にしか生きてこれなかったと思うように生きて来たと思うので、このように生まれついた、育ててもらったことには感謝しかありません。

 

 

 

心の時計の方は、今の所、現在と遠い過去を行ったり来たりしていて、まだ、父が書いた『走れ二十五万キロ 金栗四三伝』や「いだてん」への思いもうまく言葉にできないでいます。
書きたいことが書けないうちに大河ドラマが終わってしまったけれど、外側の時間と自分の心の時間のズレは合わせなくてもよい、と割り切りました。

 

心の置き場所を探しているうちに、少しずつ“時が薬”になって効いてきたような気もします。
父が逝って9ヶ月。

その間にも、『即興演奏 12のとびら 音楽をつくってみよう』を出版し、マスタークラスやコード塾、勉強会をつづけ、コンサートやセミナーを開いてこれたのは、やはり、家族やスタッフのおかげなのだなとしみじみ思います。
待っていてくれる人の有り難さをこんなに感じた1年はありませんでした。

少し遅れ気味ではありますが、ピアノランドメイトも書いているところです。
どうもありがとう。
何か、生きているものすべてに、ありがとうを言いたい気持ちです。

 

 

 

 

 

 

樹原涼子
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