ピアニストは何が違うのか テクニック以上に問題なのは?
「ピアニストは素晴らしいテクニックを持っている人たちであって、自分もテクニックさえ身につければ少しは近づけるのではないか」と思っている人たちが少なからずいるのでは……と、思います。
例えば、もっと指が速く動くようになったらとか、大きな音が出せるようになったらとか、一日何時間練習したらとか、ピアニストに近づくための方法を誤解している人がいるかもしれない、という問題。
もちろん、目標を持つのは良いことですし、練習はしないよりもした方がよいのですが、そのための方法、方向性、一番大切な要素は何なのかを真剣に考える人が増えたらいいなと思うのです。
ピアノが好きで、一生懸命練習してくる子供は本当に可愛い!
教える仕事をしてよかったと思うのはそんなときで、音楽がその子の人生をより豊かにしてくれるよう、音楽を理解するための様々なアプローチを考えます。
例えば、書き上げたばかりの自筆譜を見せて「印刷される前の楽譜はこんな風でね……」と、まだ湯気が出ている楽譜の解説をしながら演奏を聴かせたこともあります。
そうすると、大昔に天国に行った作曲家たちが残した曲も、こうして、一音一音紡がれたものの集大成なのだと、血の通ったものとして認識するきっかけとなります。
例えばスラーの勢い、太さ、最後の音符にかかるまでのカーブの付け方などに現れてしまう作曲者の考え。
なぜスラーをつけたのか、なぜあそこまでではなくここまでなのか、
スラーを見て、ただレガートに弾くのではなく、それが音型のスラーか、アーティキュレーションのスラーか、フレーズのスラーか、何と何を区別するためにつけられたものなのかを考えるような子を育てたいと思うのです。
同じ音型が出てきても、場所によって強弱や表情記号、和声、調性、テンポまで変わることも。
音型は拡大したり縮小したり、逆さまになったり、別の楽章にちらりと登場したりと、小説の伏線のように作曲家の考えが曲のあちこちに張り巡らされています。
そんなストーリーをどのように見せていくか、繊細に知恵を絞るのがピアニストの日常なのです。
特に、和声の変化に対する感覚は、理論的な理解の上に構築するよりなく、ここがあやふやだと、曲の土台が揺らいでしまいますから、ピアニストの腕の見せ所でもあります。
決して、指の練習だけに時間を費やしているのではなく、楽曲をどのように読み解いて表現するか、がピアニストの仕事と言えるでしょう。
テクニックは、音楽を形にするときの「しもべ」であって、楽曲を読み解いてどのように表現するかというプランがなければ使い道もないのです。
そして、いつでも使えるようにピアニストの道具であるテクニックの手入れももちろん大切です。
色々な場面で大勢の子供たちの演奏を聴くことがありますが、楽曲の理解の深さがなければ指だけ動いてもその先がない、と思うことがあります。
楽譜を音にしてはいても、楽曲の言わんとしていることが伝えられないことも。
まだまだ、感覚だけで乗り切ろうとしている子が(というより先生が、なのでしょう)多いように思います。
感覚のよい子ほど、勉強をしなくてもある程度弾けてしまうので、そこでおろそかにしてはいけないことがあります。
理論的なこと、精神的な深さを身につけた子供たちを育てるためにも、『耳を開く 聴きとり術 コード編』や『ピアノランド スケール・モード・アルペジオ』を土台にして、『ピアノランドたのしいテクニック』で考えながらテクニックを選ぶレッスンをしていただけたらと思ったり。
まだまだ、私がしなくてはならないことがあるな〜と思うこの頃。
教える人は、子供たちの貴重な人生の時間を無駄にしないように心がけなければとも思います。
ちょうどそんなことを考えていたら、宮谷理香さんがムジカノーヴァ4月号からスタートされた連載「ピアニストの魔法を教えて! リカの玉手箱」に、「ピアニストは作品をどう読み解く?」というエッセイを書かれていました!
「なぜ? なぜ?」と、ピアニストは楽譜をどう読み解いていくか、目の前にいない作曲家を質問攻めにして楽曲の真理、真相、深層に迫っていくらしい……。
おお! と思わず声をあげたくなりました。
まさに、そこを明らかにしていく方法をなんとかお伝えできないかとスタートしたのが、《樹原涼子》を弾きたい シリーズ であり、そのトーク&コンサートの第一回めのゲストがショパンコンクール5位入賞の宮谷理香さんなのです!
なぜ宮谷さんか、と言うと、どの演奏会に伺っても作曲者がきっと喜ぶだろうなと思う自然さで演奏されている、楽曲を読み解き表現する力に惹かれたから。
宮谷さんの最新CD「音楽の玉手箱 vol.1 カンタービレ」は、素敵な小品がたくさん♪
4月27日は、この時代に生まれた曲を、この時代のピアニストが読み解く。なんてスリリングなことかと思います。 カワイ表参道パウぜ
シューベルトの時代のサロンコンサートのように、今、ここで生まれる新しい曲や解釈を音楽仲間と分かち合えるのは、なんて幸せなことでしょう。
宮谷さんの曲へのアプローチで聴かせていただけるのは、作曲者としてとても光栄なことで、私も楽しみでなりません。
そのピアニストの手法を、その演奏を聴きながら、作曲者とともにお客様もご案内しながら音楽の森に分け入って行くという楽しい時間を、音楽ファンの皆さまもぜひ体験してください。
4月27日は、きっと、ムジカノーヴァに書かれていたように、今度は目の前にいる作曲者が質問攻めにされるのかしらと、戦々恐々としています(笑)。
いえいえ、私も負けずに、「どうしてここはこのように表現されたですか?」と質問することになるでしょうか。
宮谷理香さんが、樹原作品の新しい扉を開いてくださる瞬間を、生で、体験していただけますように!