亡き師匠の教えを凝縮した『八城一夫からの贈り物』出版まで

亡き師匠の教えを凝縮した『八城一夫からの贈り物』出版まで

『ピアノランド』が世に出たとき、滅多なことでは誉めない師匠が「合格だな」と言ってくださった。

その4ヶ月後に天に召されたので、今思えばギリギリのタイミング。

 

私は6年間、八城一夫という希有なピアニストから、ジャズ理論と編曲をみっちり学びました。

音大でクラシックを学んでも、音楽業界で仕事をするにはまだまだ足りない(CMやアニメ、ゲーム音楽などの作詞/作曲/編曲/ボーカル/演奏をしながらピアノを教えていました)、バークリーに行かないで日本で学べるところは、と辿り着いたのが銀座のアテネミュージック。

ジャズ理論クラスを卒業してからは、ジャズのプレイヤーになるのではないから、作編曲のために時間を取って欲しいと直談判して、毎月個人レッスンに通った懐かしい日々。(その頃は池上の教室)

師匠の講義をまとめた手書きノート、沢山の練習曲のプリント、自作曲のレッスン(私は作品を他人に直されるのが嫌で、唯一八城先生のアドバイスに限っては、2週間後にやっと受け入れることができました。それでも2週間……私も頑固でしたが)はかけがえの無いもので、この日々が樹原涼子の音楽的な体力をつけたのだと思っています。

 

今でも忘れられないのは、連弾曲を書いては先生と連弾をしたこと、ある歌を持っていったら「素晴らしい曲だから、これは絶対世に出せよ!」と何度も念を押されたこと、演奏会前にリストの曲をレッスンしていただいたこと。

先生の演奏を聴きに行きたくても、銀座や新橋のスウィングに通うお金がない頃、いつもNHKの公開録音のハガキをくださったこと。

「どうして先生の音はそんなにきれいなんですか?」「弾き方なんか習ったことはない。自然に弾いてるだけだ」と仰ったこと!

 

 

私が八城先生の門を叩いた頃には、すでにジャズピアニスト、オルガニストとして売れっ子だった一番弟子の田代ユリさん

師匠は、グループレッスンでアドバイスにすぐに反応できない人がいると、決まって「ユリなら、これくらい1ぺん聴いたらすぐにできる!」と貧乏揺すりをしながら仰っていたので、「ユリさんってどんな人だろう」と興味津々でした。

その後、ユリ姉がビッグバンドを率いてコンサートをされているのを客席から見たときには、ぶっ飛びました。カッコいい!

まだ海のものでもない山のものでもない私は、自分の音楽を極めなくてはと思ったものです。

 

 

師匠の7回忌、弟子達が集まったパーティーを仕切ったのがユリさんで、多分そのときに初めて話をして、とても嬉しかったのを覚えています。

その日の受付を、斎藤友子さんと私が担当したらしく(覚えていない…!)、その後、斎藤さんから度々自作の楽譜がドサッと送られてくるようになり、「ステキな曲を書く方だったのね!」と音楽之友社にご紹介、瞬く間に『Back to Bach』を出版、これも師匠が作ってくださったご縁でした。

ユリ姉と斎藤さんは八城門下の一期生、私は最後の弟子。

こうして、門下の先輩二人と師匠の7回忌で引き合わされ、その17年後に『八城一夫からの贈り物』を一緒に作ることになろうとは!

 

 

『八城一夫からの贈り物』出版記念セミナー講師3人2015.10.26

 

 

誰かに何かを教える、伝えるというのは、いつどのように結果が出るのか、すぐにはわからないものです。

空から降った雨が地上に降り注ぎ、地下水となり、湧き出て泉となり川となり海に注ぎ、水蒸気になって空に上り……。

 

 

次回、その本の出版記念セミナー(10月26日)のことを書きます。

 

樹原涼子
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