箱根駅伝の日、マラソンの父金栗四三伝『走れ二十五万キロ』を読んでみませんか?

お正月の名物となった箱根駅伝を始めたのが誰かご存知ですか?

明治45年のストックホルム大会で初の日本人オリンピック選手となった金栗四三さんは、後に「マラソンの父」と呼ばれ、一選手としての活動をはるかに越え、日本のスポーツ界、長距離界に多大な功績を残した方です。

箱根駅伝が行なわれる1月2日に日付けが変わったところで、私の父長谷川孝道が書いた『走れ二十五万キロ マラソンの父 金栗四三伝』(熊本日日新聞社)の話を書こうと思い立ちました。

 

突然陸上の話で驚かれるかもしれませんが、小学生の頃は運動会大好き、かけっこ少女だった私。

走ることに関してはとても真剣で、父のススメで、元オリンピック選手に陸上のレッスン(というのでしょうか…)を受けたこともありました。

中学時代陸上部に所属し(放送部、合唱部と掛け持ち)、短距離、障害物の選手でもあり、日焼けしてカモシカのように(本人談)走っていたのです。

 

父は、大学時代に陸上に打ち込み、オリンピックを夢見てトレーニングに励んでいたのですが、怪我などもあり及ばず、その道を断念しました。

そして新聞記者となり、社会部に所属しながらスポーツ記事を沢山書いていたのです。

父は、熊本日日新聞紙上に金栗四三さんのインタビューを元にその伝記を連載することになり、20代の若さで金栗翁から貴重な話を聞く機会を得、その連載は講談社から昭和35年に『走れ二十五万キロ』というタイトルで出版されたのでした。東京オリンピック開催の4年前のことです。

その本はすでに絶版になっており、金栗四三さんの特集をする番組や、マラソンについての番組などがあると、テレビ、新聞、スポーツ雑誌の取材の方が熊本の自宅まで、父の話を聞くために度々訪問されるものですから、高齢になった父は考えたのです。

「金栗さんの素晴らしい人となり、考え方、生き方、指導法などを後世に伝えたい、伝えなければならない」と。そして、それは、生前にインタビューをして自身も陸上選手であった父にしかできないことだと、私も思いました。

老夫婦二人暮らし、父は病身の母を助けながら、来る日も来る日もワープロに向かい、その姿は壮絶でさえありました。

 

構想から完成までの道程はとても長く険しいものでしたが、父を支えてくれる方々のおかげで2013年8月にやっと出版することができました。

前半はかつての本を復刻、後半は新たな書き下ろし部分を「カナクリズム」余話として追加、年表もあり、陸上界にとっても貴重な資料が完成したのではないかと思います。

 

走れ二十五万キロ

 

金栗さんが箱根駅伝や福岡国際マラソン(かつては、金栗杯と呼ばれていました)を作られた理由、そして、現在行なわれているインターバルトレーニングや高地練習などの基礎を作られたこと、女子体育を日本に根付かせるために行なった様々な試みなど、金栗さんにまつわる多くのエピソードには驚かされます。

何度もテレビで紹介されましたが「金栗足袋」を考案して走ったこと、「54年8ヶ月6日5時間32分20秒3」という大記録などについては、ぜひ、本書をお読みいただけたら幸いです。

 

『走れ二十五万キロ』は、熊本日日新聞のリンクから手に入れることができます。

箱根駅伝にちなんで、父の仕事を紹介させていただきました。

お正月、膨らんだお腹を引っ込めるために、さぁ、みなさんも走りましょうか♪

 

樹原涼子
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